ダークダックス
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ダークダックス
ダークダックス(1956年)
基本情報
出身地 日本
ジャンル重唱団
活動期間1951年 - 2016年
レーベルテイチク
キングレコード
ユニバーサルミュージック
事務所ダークダックス事務所

メンバー高見澤宏
佐々木行
喜早哲
遠山一

ダークダックス(DARK DUCKS)は、1951年から2016年まで活動していた、男声の重唱団(ボーカルグループ)である。過去のレコードジャケットでは『ダーク・ダックス』という表記がされる時もあった。同グループのメンバー数は活動の中心時期には長らく4人であった。
来歴

メンバー全員、慶應義塾大学経済学部出身[1]。同大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーたちが、1951年のクリスマスパーティーで「ホワイト・クリスマス」の合唱を披露したことがきっかけで結成。この時、パクさんこと高見澤宏が入学する前だったので、メンバーは3人だった。結成当時はJAZZ・黒人霊歌を中心に活動していたが、のちにオリジナル楽曲やロシア民謡、山の歌、唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとするようになった。

1957年にロシア民謡「ともしび」をヒットさせ、一躍人気を集めた。当時としては異例の年6枚のアルバムを発売し、記録的ヒットを収め、歌謡界にコーラスブームを巻き起こした。1957年3月22日、初演奏会をひらく[2]。翌1958年に第9回NHK紅白歌合戦に初出場し、以後、1971年の第22回まで14回連続出場。1976年の第27回に再出場を果たし、通算15回出場している。第9回、第10回(1959年)は彼らの歌のラジオの音声が現存し、1960年代中期からは映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で彼らの歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。

世界各国でも音楽活動を行っており、特にソビエト連邦へは1960年[3]、1962年、1972年[4]、1974年、1977年[5]の5回に亘り長期演奏旅行を行い、盛況を極めている。(尚、1967年のソ連訪問は、4月の東京‐モスクワ間の直通定期旅客航空路線開設[注釈 1]に伴う、東京発モスクワ行き第1便搭乗者としての招待旅行であり[注釈 2]、演奏旅行ではない[13]。)

1987年(昭和62年)には、メンバーが変わらない日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループとして、ギネス世界記録に認定。1993年(平成5年)、紫綬褒章受章。グループ全員による受章は史上初。

同形態をとるコーラスグループ、デューク・エイセスボニージャックスとの三者共演の歴史は古く、1973年4月の第2回東京音楽祭で、国内大会と世界大会との間の1週間に企画された「東京音楽祭ウィーク」でのコンサート「ビッグ3夢の競演」にまで遡る[注釈 3]。また、1986年3月には、「ザッツ・ハーモニー」と銘打った全10日間の合同企画も開催されている。これは、最初の3日間ずつで夫々が単独のリサイタルを行ない、最終日に三者合同で歌うという日程であった[注釈 4]。その後、21世紀に入った頃から、三者共同でのショー開催は恒例として度々行われるようになった。

1997年に一過性脳虚血発作でマンガさんこと佐々木行が倒れ、翌年より療養生活に入る(後に鬱病を患っていることが喜早哲から明かされた)。新メンバー招聘の話もあったが「(ダークダックスの特色から言って)他メンバーのダークダックスは考えられない」とスタッフや後援会が反対、あくまで佐々木行復帰を待つということでコーラスのパートをカルテットからトリオに再編し、以後3人のメンバー(喜早哲いわく「ダークダックス3兄弟になった」と考えて欲しいとのこと)で活動。

2008年に群馬県館林市にて、グループの活動記録や資料を保存し功績と足跡を顕彰する施設「ダークダックス館林音楽館」がオープンしている。


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