ダーウィン_(ノーザンテリトリー)
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ダーウィン




位置

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯12度27分00秒 東経130度50分00秒 / 南緯12.45000度 東経130.83333度 / -12.45000; 130.83333
地理
面積 
  域3163.8 km2
人口
人口(2018年現在)
  域148,564人
    人口密度  46.96人/km2
その他
等時帯AEST (UTC+9:30)
夏時間AEST (UTC+9:30)

ダーウィン(Darwin)は、オーストラリア連邦準州ノーザンテリトリーの州都で、人口は約14万人。オーストラリアでは16位で、準州の総人口の約6割がここに集中している。オーストラリア大陸北側のティモール海沿いに位置する。他の国内主要都市からは離れた位置にある(パースから4042km、首都のキャンベラからは3969km)一方でオーストラリアではアジアに最も近い位置(ジャカルタまで2700km、那覇まで4300km、東京まで5400km程度)にあることから、非常に多文化的な都市となっている。75の民族が見られ、人口の約4分の1がアボリジニなどの原住民である。また、ノーザンテリトリーで唯一の大学であるチャールズ・ダーウィン大学の所在地でもある。
歴史

ダーウィン周辺に最初に居住したのはアボリジニ(オーストラリア先住民)のララキア族 (Larrakia) である。彼らは東南アジアとの交易ルートを持っていた。1600年代オランダ人がオーストラリア北岸に達し、初めて地図を作った。現在でもアーネムランドグルートアイランド島などオランダ語の地名が残っているのはそのためである。

現在のダーウィン市の近郊には、1824年から1860年代末までイギリスが入植と撤退を繰り返し、市街は安定しなかった。その間の1839年にイギリス海軍の軍艦ビーグル号のジョン・ロート・ストークスによって港に好適な入り江が発見された。船長のジョン・クレメンス・ウィッカムは友人の自然科学者チャールズ・ダーウィンにちなんで、この入り江をポート・ダーウィン(ダーウィン港)と名づけた。チャールズ・ダーウィンとウィッカム、ストークスらはビーグル号の前回の探検航海で同船仲間であった。ただしこの時点ではポート・ダーウィンは非公式な名称であった。時にダーウィンがこの地を訪れたことに由来する、と説明されるが[1]、ダーウィンが乗船した航海ではビーグル号はシドニーからオーストラリア南岸を通過しており[要出典]、当地には立ち寄っていない。

ノーザンテリトリーは当初南オーストラリア州に属していた。1869年、イギリス政府の主任監督者ゴイダー (G.W. Goyder) によって、135人の男女がポート・ダーウィンに小さな入植地を建設した。ゴイダーはこの入植地に、イギリスの首相パーマストン卿にちなんでパーマストンと命名した。1870年に大陸間電信のための最初の電柱が建てられた。1880年代にはパイン・クリークで金が発見され、パーマストン入植地は大きく発展した。オーストラリア連邦政府は1911年にノーザンテリトリーを直轄地とし、同時にダーウィンが当市の公式な名称になった。

第二次世界大戦中の1942年2月19日、ダーウィンは1日に2度にわたって242機の日本軍艦載機を主力とする部隊に爆撃を受けた。この爆撃で使用された爆弾の数はおそらく真珠湾攻撃の時よりも多かったと考えられ、ダーウィン港は壊滅的打撃を受けた。ダーウィンの歴史を考える上で欠かせない事件である(ダーウィン空襲)。この攻撃によって少なくとも243人が死亡し、街も大きな損害を被るなどオーストラリアにとっても最も深刻な事件であった。ダーウィン市風景

以降ダーウィン及び市街周辺は、1943年11月まで数十回にわたり日本軍機の空襲を受け、大きな損害を受けた[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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