ダヴィド・スヴャトスラヴィチ_(チェルニゴフ公)
[Wikipedia|▼Menu]

ダヴィド・スヴャトスラヴィチ
Давыд Святославич
チェルニゴフ公
ダヴィド・スヴャトスラヴィチの死
在位1097年 - 1123年

出生1050年

死去1123年

埋葬チェルニゴフ救世主顕栄大聖堂
配偶者フェオドシヤ
子女スヴャトスラフ
ロスチスラフ
フセヴォロド
ウラジーミル
イジャスラフ
家名リューリク家
父親キエフ大公スヴャトスラフ2世
母親キリキヤ
テンプレートを表示

ダヴィド・スヴャトスラヴィチ(ロシア語: Давыд Святославич、1050年頃 - 1123年)は、キエフ大公スヴャトスラフの子である。ペレヤスラヴリ公1073年 - 1076年ムーロム公:1076年 - 1093年スモレンスク公:1093年 - 1095年1096年 - 1097年ノヴゴロド公1094年 - 1095年、チェルニゴフ公:1097年 - 1123年。チェルニゴフの地(チェルニゴフ公国領)における最初の聖人(ブラゴヴェルヌィー(ru))であり、ブリャンスク聖人大聖堂において[注 1]、その記憶日ユリウス暦9月20日とされている。
生涯

1073年、父スヴャトスラフがキエフ大公となると、ペレヤスラヴリ公位を与えられた。しかし1076年に父が死ぬと、父の世襲領(ヴォチナ(ru))であるチェルニゴフの地への配置転換を余儀なくされ、スヴャトスラフはムーロムへ異動となった。1078年、チェルニゴフの覇権をめぐる戦い(ru)で、父の次のキエフ大公となっていたイジャスラフが戦死した後は、チェルニゴフはウラジーミル・モノマフが統治した。

キエフ大公フセヴォロドの死後の記述においては、ダヴィドは一時、ムスチスラフに代わってノヴゴロド公であったことが記されている。1094年、兄弟のオレグがチェルニゴフを制圧した際に、ダヴィドはスモレンスクへ向かっていたが、このとき、ノヴゴロドの人々はムスチスラフ(この時、一時的にロストフ公)にノヴゴロド公位を返還させた[1]。なお、1096年にオレグがウラジーミル・モノマフとスヴャトポルクによってチェルニゴフから追放されている。

1097年リューベチ諸公会議において、各々の父の地を受領、継承していく原則が取り決められ、ダヴィドのチェルニゴフ公位は承認された。(兄弟のオレグはチェルニゴフ公国から分離したノヴゴロド・セヴェルスキー公国ノヴゴロド・セヴェルスキー公となった)。

同年11月、ヴォルィーニ公ダヴィドが会議の決定を覆し、テレボヴリ公ヴァシリコに危害を加えた。ダヴィド(本項のダヴィド)は兄弟のオレグやウラジーミル・モノマフと共にキエフへ行くと、キエフ大公スヴャトポルク(上記のスヴャトポルク)の同意を取り付けた上で、ヴォルィーニ公ダヴィドに対する遠征を行った(ルーシ内戦 (1097年 - 1100年))。また、1100年の、ヴォルィーニ公ダヴィドに対する遠征の戦後処理会議にあたるウヴェチチ諸公会議(ru)に参加し、ヴォルィーニ(ウラジーミル・ヴォリンスキー)をヴォルィーニ公ダヴィドから没収する代償金のうち、100グリヴナを出資した。

1101年ペレムィシュリ公ヴォロダリと共にポーランドへの遠征を行った。

1103年ポロヴェツ族への対処を決議したドロプスク諸公会議に参加し、12世紀初頭のポロヴェツ族への遠征軍を組織した。1116年には、ウラジーミル・モノマフの子らと共に、ポロヴェツ族の支配下にあったドネツ川上流の諸都市を破壊し、シャルカンオルダカフカスへと追いやった。

1113年、キエフ大公スヴャトポルクが死亡した。当時の継承法(ru)に従えばキエフ大公位はダヴィドに相続されるはずだったが、ダヴィドの大公位就任は実現しなかった(キエフ大公位にはウラジーミル・モノマフが就いた)。ダヴィドとモノマフの間における権力闘争に関して記した記述はない。

1115年、ペレヤスラヴリ公ヤロポルクによる、ミンスク公グレプに対する遠征軍に参加し、ドルツクへ出兵、陥落させた。1118年にはウラジーミル・モノマフらと共にヴォルィーニ公ヤロスラフを攻め、これを降伏させている。

1123年に死亡し、チェルニゴフの救世主顕栄大聖堂(ru)に埋葬された。
妻子

妻の名はフェオドシヤ。子には以下の人物がいる。

スヴャトスラフ(ru)
- ルーツク公

ロスチスラフ

フセヴォロド - ムーロム公

ウラジーミル - チェルニゴフ公

イジャスラフ - キエフ大公

先代
フセヴォロド1世ペレヤスラヴリ公
1073年 - 1076年次代
ロスチスラフ

先代
スヴャトスラフ2世ムーロム公
1076年 - 1093年次代
オレグ

先代
ムスチスラフ1世ノヴゴロド公
1094年 - 1095年次代
ムスチスラフ1世

先代
イジャスラフスモレンスク公
1096年 - 1097年次代
スヴャトスラフ

先代
オレグチェルニゴフ公
1097年 - 1123年次代
ヤロスラフ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef