ダン・フォード
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ダン・フォード
Dan Ford基本情報
国籍
アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1952-05-19) 1952年5月19日(72歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手 (右翼手中堅手)
プロ入り1970年 ドラフト1巡目
(オークランド・アスレチックスから指名)
初出場1975年4月12日
ミネソタ・ツインズ
(対カンザスシティ・ロイヤルズ戦)
最終出場1985年5月31日
ボルチモア・オリオールズ
(対オークランド・アスレチックス戦)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


フレモント高校

ミネソタ・ツインズ (1975 - 1978)

カリフォルニア・エンゼルス (1979 - 1981)

ボルチモア・オリオールズ (1982 - 1985)

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ダーネル・グレン・フォード(Darnell Glenn Ford、1952年5月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手 (MLB) である。1975年から1985年までMLBでプレイした。ニックネームは「ディスコ・ダン(Disco Dan)」。
経歴

1970年6月4日オークランド・アスレチックスからドラフト1巡目(全体18位)で指名を受け、プロ入りを果たした[1]。アスレチックスのマイナーでは、1972年打率.354・OPS1.105を記録、4年連続で2ケタ本塁打を放つ等の活躍を見せたが、メジャーに昇格出来ないまま、1974年10月23日ミネソタ・ツインズトレードで放出された[1]
ツインズ時代

1975年4月12日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。デビュー戦ではライトの守備に入ったが、打席に入る機会はなかった[2]。だが、以後はコンスタントに出場機会を得て、メジャー1年目から130試合に出場した。打率.280・15本塁打・59打点・6盗塁という打撃成績を残した。守備面では、センターでの起用がメイン (119試合) であり、同ポジションで3失策守備率.988という成績を残した。

1976年は、ライトにコンバートしたが9失策・守備率.968という守備成績に終わった。一方で打撃面では、打率こそ低下したものの20本塁打・86打点を記録した。また、17盗塁を決めて俊足を発揮した。

1977年もライトのレギュラーで起用されたが、翌1978年にはセンターに再コンバートされた。シーズンオフの12月4日、トレードでツインズからカリフォルニア・エンゼルスに移籍した[1]
エンゼルス時代

1979年8月10日の対シアトル・マリナーズ戦では二塁打を2本・三塁打と本塁打を1本ずつ放ち、サイクル安打を達成した[3]。レギュラーシーズンでは、いずれも自身初の100得点・100打点を記録し、シーズンオフのMVP投票では26位にランクインした[4]

1980年は65試合の出場に留まり、メジャーデビュー以来で初めて出場試合数が100未満となった。

1981年も100試合に届かなかったが、2年ぶりの2ケタ本塁打となる15本塁打を放ち、通算100本塁打を達成した。シーズンオフの1982年1月28日、自身3度目となるトレードによりボルチモア・オリオールズに移籍した[1]
オリオールズ時代

1982年はライトのレギュラーで起用され、123試合に出場したが、打率.235・10本塁打と不振に陥った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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