ダンディー_(スコットランド)
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ダンディー
英語: Dundee
スコットランド・ゲール語: Dun Deagh
スコットランド語: Dundee

上: テイ橋、中: 調査船ディスカバリー号とダンディー市街中心部、下左: マグダレン・ヤードの野外ステージ、下右: ダンディー大学


市旗市章

標語 : "City of Discovery"
位置

位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯56度27分51秒 西経2度58分13秒 / 北緯56.46417度 西経2.97028度 / 56.46417; -2.97028
行政
イギリス
 カントリー (Country)スコットランド
 市ダンディー
地理
面積 
  市域67[1] km2 (26 mi2)
人口
人口(2016年現在)
  市域148,270[2]
    人口密度  2,478人/km2(6,420人/mi2)
  都市圏237,000[3]
その他
等時帯西ヨーロッパ時間 (UTC+0)
夏時間西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1)
郵便番号DD1-DD6
市外局番01382
公式ウェブサイト : ⇒Home Page - Dundee City Council, Scotland

ダンディー(英語: Dundee [d?n?di?] ( 音声ファイル)、スコットランド・ゲール語: Dun De [?t?u?n t?e?]、スコットランド語: Dundee、)は、正式名をダンディー・シティ (Dundee City)と呼ぶスコットランドで人口4番目、イギリス全体で人口51番目の都市で、スコットランドに32ある地方行政区画である「カウンシル・エリア」の1つである。北海に面するテイ湾の北岸に位置する。

ダンディーには、中石器時代から人が継続的に居住してきた痕跡がある。中世自由都市として発展し、19世紀に主にジュート産業によって急速に発展した。このことと、他のダンディーの主要産業から、ダンディーの通り名である「ジャム・ジュート・ジャーナリズム」(jam, jute and journalism) が生まれた。

2006年半ばで、ダンディーの人口は141,930人、都市圏人口は159,522人と見積もられている。1971年の国勢調査の時点で、ダンディーの人口は182,204人の最高に達しているが、その後の転出により減少している。

こんにち、ダンディーは「一つの都市、多くの発見」(One City, Many Discoveries) というキャッチフレーズで宣伝している。これは、ダンディーの科学活動の歴史と、ロバート・スコット南極探検に使われた調査船ディスカバリー号(英語版)がダンディーで建造され、今も市の港で保存されていることを記念するものである。生物医学産業や技術産業は1980年代から発展し始め、現在ではイギリスにおけるデジタルエンターテイメント産業の10%を占めるに至っている。ダンディーには、ダンディー大学(英語版)、アバーテイ大学(英語版)の2つの大学がある。2014年には、医学研究や漫画、ビデオゲームといった分野での多様な貢献を理由として、イギリスで初めて国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)のデザイン都市に認定された[4][5][6]

ダンディーの特徴的なところとして、2つのプロサッカーチーム、ダンディー・ユナイテッドFCダンディーFCがあり、お互いに隣り合ったスタジアムを本拠地としているというところがある[7]

伝統的な産業の衰退とともに、ダンディーは文化センターとして再発展しようとする計画を採用した[8]。この計画を追求して、10億ポンドをかけてウォーターフロントと都心を再生し再連結するマスタープランが2001年に始まり、30年ほどの期間をかけて完成させる予定となっている。ヴィクトリア&アルバート博物館ロンドン以外では初めてとなる支館、V&Aダンディー(英語版)は、このウォーターフロントプロジェクトの中心となっている[9][10]

近年、ダンディーの国際的注目度が上がっている。雑誌のGQは2015年にダンディーを「イギリスでもっともクールな小都市」に選び、ウォール・ストリート・ジャーナルは2018年に「世界中で最もホットな旅行先」の第5位にダンディーを選んだ[11]
歴史

ダンディーという地名は2つの要素で構成されている。最初の要素は要塞を意味するケルトの地名であるdunであり、2番目の要素はスコットランド・ゲール語において「火」を意味するdeaghか、あるいはTayから来ているとされる[12]ジョン・スレザー(英語版)の描いた1693年のダンディー

初期から人間の活動があった証拠は豊富であるが[注釈 1]、ダンディーの海港都市としての成功と発展のきっかけは、スコットランド王のウィリアム1世 (スコットランド王)が12世紀末に彼の弟で後にハンティンドン伯爵となったデイヴィッドにダンディーを与えたことである[13]。町の当時の状況とデービッドの町を貿易拠点として発展させる政策により、町は繁栄と成長の時代を迎えることになった[14]。伯爵領はデイヴィッドの子孫に受け継がれ、その中でもジョン・ベイリャルの時代、彼がスコットランド王に戴冠した1292年に勅許自治都市 (Royal burgh) となった[15]。ダンディーの町と城は、第一次スコットランド独立戦争の際にイングランド軍によって数年間にわたり占領されたが、1312年初めにロバート1世が奪還した[16]。当初の自由都市勅許は占領中には失われていたが、後にロバート1世によって1327年に再度与えられた[17]

ダンディーの町は、1543年から1550年にかけての「手荒な結婚申し入れ(英語版)」(スコットランドのメアリー1世を、イングランドのヘンリー8世の息子エドワードと結婚させることでスコットランド王位を手に入れようとした事件)として知られる紛争に際して困窮し、アンドリュー・ダドリー(英語版)率いるイングランド軍によって1547年に占領された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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