ダンテ
品種サラブレッド
性別牡
毛色黒鹿毛
生誕1942年
死没1956年
父Nearco
母Rosy Legend
生国 イギリス
生産者Sir Eric Ohlson
馬主Sir Eric Ohlson
調教師Mathew Peacock(イギリス)
競走成績
生涯成績9戦8勝
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ダンテ (Dante) はイギリスの競走馬および種牡馬。馬名の由来は中世イタリアの詩聖「ダンテ・アリギエーリ」より。全弟にアイリッシュダービーやセントレジャーステークスを勝ったサヤジラオ (Sayajirao) が、半兄に日本で種牡馬入りしタニノハローモアやスターロツチなどを輩出したハロウェー(Harroway)がいる。 ダンテはイギリスの辺境の街、ミドルハム
戦績
翌年はクラシックに向けて地元のレースに出走すると、単勝1.1倍という圧倒的な1番人気に応え、後続に4馬身差をつける楽勝、イギリス2000ギニーに向けて快調な出だしを飾った。が、本番直前の調教で別馬が蹴飛ばした小石が目に当たり、右目に傷を負ってしまった。陣営は大した傷ではないとしてイギリス2000ギニーに出走し1番人気に支持されたが、その傷が影響してかコートマーシャル (Court Martial) にクビ差で逃げ切られ、生涯初の敗戦を喫してしまった。しかし医師から目の治療を受けたダンテは、第二次世界大戦のためニューマーケット競馬場で代替開催されたイギリスダービーに出走した。2000ギニー以降も評価が劣らなかったダンテは再度1番人気に支持された。すると、ミダス (Midas) 、コートマーシャル以下に2馬身差をつけ、ニューマーケット競馬場で開催されたイギリスダービーの最速タイムで優勝。ミドルハムでは鐘を鳴らし、町全体がこの勝利を祝福した。
その後はセントレジャーステークスを目標に調整が進められていたが、調整が間に合わないとしてこれを回避、結局ダービー後は1戦も出走することなく引退となった。 ※当時グループ制なし 引退後はシークトンスタッドで種牡馬入り。自身が敗れた2000ギニーを勝ったダリウス (Darius) をはじめ、数々の活躍馬を輩出・成功し、ダンテ系を形成した。目の傷は最後までダンテを苦しめ、最終的には完全に失明してしまったが、それでも種牡馬としての役割は果たしていた。 ※当時グループ制なし ダンテの血統(ネアルコ系 / St.Simon 5×5×5=9.38%、St. Serf 5×5=6.25%(母内))(血統表の出典) 全兄弟にSayajirao
年度別競走成績
1944年(6戦6勝) - ミドルパークステークス
1945年(3戦2勝) - イギリスダービー
種牡馬
代表産駒
Darius - 2000ギニー、エクリプスステークス、セントジェームズパレスステークス
Carrozza - イギリスオークス
Landau - サセックスステークス
血統
父
Nearco
1935年 黒鹿毛父の父Pharos
1920年 鹿毛PhalarisPolymelus
Bromus
Scapa FlowChaucer
Anchora
父の母Nogara
1928年 鹿毛HavresacRabelais
Hors Concours
CatnipSpearmint
Sibola
母
Rosy Legend
1931 黒鹿毛母の父Dark Legend
1914 黒鹿毛Dark RonaldHampton
Darkie
Golden LegendAmphion
St. Lucre
母の母Rosy Cheeks
1919 黒鹿毛St. JustSt. Frusquin
Justitia
PurityGallinule
Sanctimony F-No.3-n
外部リンク
競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ
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