ダンス・ウィズ・ウルブズ
Dances with Wolves
監督ケビン・コスナー
脚本マイケル・ブレイク
『ダンス・ウィズ・ウルブズ[3]』(原題:Dances with Wolves)は、1990年のアメリカ映画。製作会社はオライオン・ピクチャーズで、監督・主演・製作はケビン・コスナー。第63回アカデミー賞作品賞ならびに第48回ゴールデングローブ賞 作品賞受賞作品である。のちに、「4時間アナザー・バージョン」と呼ばれる全長版が公開されている(後述)。 1861年から繰り広げられた南北戦争時代のフロンティアを舞台に北軍の中尉と、スー族と呼ばれるインディアンとの間で交わされる心の交流を描いた西部劇である。先住民族であるインディアンを虐殺しバッファローを絶滅寸前に追いやった白人中心主義のアメリカ社会に対して警鐘を鳴らすと同時にフロンティアへの敬意・郷愁を表している点で従来の西部劇とは大きく一線を画し、それまでの「片言の英語を話すインディアン」というステレオタイプからも脱却し、「インディアンたちが彼らの言語で喋る」、という点でも話題となった。「タタンカ(バッファロー)」の単語もこの映画で広く知られるようになった。また作品の中で度々用いられるラコタ語に対し英語の字幕が充てられているという点でも異色の作品である。ただインディアンの言語には日本語同様に男性語と女性語の区別があり、言語指導者が女性のみであったために俳優は男女問わず女性語の指導を受けてしまった。ラッセル・ミーンズによると、ラコタ語のわかる人にとっては大笑いする内容になってしまったようである(後述)。 マイケル・ブレイク
概要
なお、原作で主人公と交流するインディアン部族はコマンチ族であるが、映画化にあたってこれは同じ平原の部族であるスー族に設定変更されている。この映画には「テン・ベアーズ」というスー族の「酋長」が出てくるが、同時代にいた実際のテン・ベアーズはヤンパリカ・コマンチ族の人物である。また、同時代の「キッキング・バード」はカイオワ族の人物であり、呪い師ではなかった。これらの齟齬は映画化の際に部族設定の変更から生じたものである。また現実の「テン・ベアーズ」も「キッキング・バード」も「族長」ではない。
作品の設定年は、前後の出来事から1864年と見られるが、作中で描かれた歴史上の事件として、米陸軍がテン・ベアーズ達のバンドを捜して大遠征をおこなうシーンがある。しかし、実際の米陸軍の冬の大遠征は1868年の11月のことであり、これは年代が合わない。
映画史上に残るとされる壮大なスケールの原風景は一部ワイオミング州のものを除いて殆どがサウスダコタ州で撮影されたものである。その他にもバッドランズ国立公園やピアでもロケーションが行われている。
制作・公開がたびたび延期されたことやマイケル・チミノが『天国の門』で西部劇を批判し記録的な赤字を出した前例がありながらコスナーもまた白人を批判する内容の西部劇に着手したこと、2200万ドルという巨額を制作費に注ぎ込んだこと(あるいはそれに匹敵する私財を持ち合わせていたコスナーに対する悋気)から、一部の聴衆は同作品を『天国の門(Heaven's Gate)』に準えて『コスナーの門(Costner's Gate)』と渾名をつけて罵っていた。しかし、1990年11月に映画が公開されると、当時トップスターであったコスナーの初監督作品であるという話題性や、インディアン民族と同化した白人の視点から当時のアメリカ社会を批判するという斬新なストーリー、さらに壮大なスケールとダイナミック且つ繊細な演出が批評家・観衆双方の絶大な賞賛を獲得。アメリカ国内だけで製作費の10倍近い収益を挙げ、西部劇映画としては歴代最高のアメリカ国内興行収入を記録している[4]。世界規模でも大ヒットし結果的に全世界で4億2400万ドルの興行収入を記録した。加えて、第63回アカデミー賞と第48回ゴールデングローブ賞の作品賞と監督賞をダブル受賞するなど国内外で多数の映画賞を獲得し、コスナーはロバート・レッドフォード、ウォーレン・ベイティに続き「監督としても成功したトップスター」の地位を確立した。 1863年秋、テネシー州は南北戦争の激戦地と化しており、北軍の中尉であったジョン・ダンバーはその中で右足に重傷を負う。その足を切断されると思ったダンバーは意を決して馬を駆り、自殺的行為とも取れる囮となって南軍兵士達の注意を逸らした。その隙を突いた北軍は一斉に進撃を開始し勝利を収めた。その後囮としての功績を称えられ一躍英雄となり、見返りとして自由に勤務地を選ぶ権利を与えられたダンバーは、「失われる前にフロンティアを見ておきたい」とサウスダコタ州のセッジウィック砦への赴任を直訴。見渡す限りの荒野と荒れ果てた「砦」で自給自足の生活を始めた。 開拓と食事、そして愛馬のシスコと「トゥー・ソックス(2つの靴下)」と名付けた狼と戯れる生活が続いていたある日、スー族インディアンがシスコを盗みに来たため、ダンバーは銃(全裸)で威嚇して追い払った。自らの集落
物語
当初集落の者達は白人に対する先入観からダンバーに不信感を抱き彼を拒絶したが、彼の人柄を見込んだ首長(チーフ)の計らいで、後日それぞれ「蹴る鳥」「風になびく髪」と呼ばれる二人の男を返礼も兼ねてダンバーの元に遣った。言葉も通じない自分たちを受け容れたうえ精一杯持て成すダンバーに、集落の中心的人物でもある「蹴る鳥」は好感を抱いた。以降、スー族の面々は頻繁に彼の元を訪れ、またダンバーも先住民族である彼らに白人文化を伝えようと試みることで徐々に互いの友好を深めていった。