ダンスパートナー
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ダンスパートナー
1997年10月5日 第32回京都大賞典ゴール(奥はシルクジャスティス)
欧字表記Dance Partner
香港表記舞伴
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1992年5月25日
死没2016年10月14日(24歳没)
登録日1994年4月21日
抹消日1998年1月5日
サンデーサイレンス
ダンシングキイ
母の父Nijinsky II
生国 日本北海道千歳市
生産者社台ファーム千歳
馬主吉田勝己
調教師白井寿昭栗東
厩務員村田浩行
競走成績
タイトルJRA賞最優秀4歳牝馬(1995年)
JRA賞最優秀5歳以上牝馬(1996年)
生涯成績25戦4勝
獲得賞金6億378万1000円(中央競馬のみ)

勝ち鞍

GI優駿牝馬1995年
GIエリザベス女王杯1996年
GIII京阪杯1996年


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ダンスパートナーは、日本競走馬繁殖牝馬1995年優駿牝馬(オークス)に優勝するなどの活躍をした。半兄に青葉賞ステイヤーズステークス優勝馬エアダブリン(父:トニービン)、全弟に菊花賞ダンスインザダーク、全妹に桜花賞馬、ヴィクトリアマイル優勝馬ダンスインザムード全弟種牡馬トーセンダンスがいる。

※馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で統一する。目次

1 戦績

1.1 4歳

1.2 5歳

1.3 6歳


2 競走成績

3 引退後

3.1 産駒


4 血統表

5 脚注

6 外部リンク

戦績
4歳

ダンスパートナーはゲートが苦手なためにデビューは1995年1月小倉競馬の新馬戦までずれ込んだが、出遅れながらも2馬身差で勝利した。その後、ダンスパートナーはこの出遅れ癖で後方からのレースを余儀なくされ、2戦目のオープン特別のエルフィンステークスで2着、チューリップ賞でも2着になった[1]阪神・淡路大震災のため、京都競馬場で行われた桜花賞でも出遅れ癖は治らず、これが原因でダンスパートナーはワンダーパヒュームの2着に敗れた。

3番人気に支持されたオークスではこの出遅れ癖が解消され、2着のユウキビバーチェに1馬身3/4の差を付けて優勝、GI初制覇を遂げた。しかも、翌週の日本ダービーを優勝したタヤスツヨシよりも速い勝ちタイム(共に良馬場でオークス:2.26.7、ダービー:2.27.3)だったことで高い評価を得た。

オークス後、ダンスパートナーはフランスへ遠征し、ステップレースのノネット賞で2着、GIヴェルメイユ賞で6着の成績を残した。帰国後、ダンスパートナーは牝馬限定のエリザベス女王杯ではなく菊花賞に挑戦した(エリザベス女王杯が翌年から古馬に開放されることが決まっていたため「エリザベス女王杯は来年以降でも取れる」ということで、菊花賞に出走した)。菊花賞への牝馬出走は18年ぶり、勝てば48年ぶりという歴史的挑戦で1番人気に支持されるも、結果はマヤノトップガンの5着に敗れた。

菊花賞後、阪神牝馬特別にも出走したが2着に敗れてしまい、結局この年ダンスパートナーはオークスしか勝てなかった。しかしながら、このオークス優勝が評価され、JRA賞最優秀4歳牝馬を受賞している。
5歳

1996年、初戦となったアメリカジョッキークラブカップでは、武豊がスキーキャプテンを選んだため、このレースのみ蛯名正義が騎乗して2着。その後、武豊に鞍上が戻り京都記念2着、大阪杯4着と相変わらず惜敗が続いた。京阪杯四位洋文が初めて騎乗して優勝し、宝塚記念ではマヤノトップガンの3着と好走した。

秋は京都大賞典4着を経て、古馬に開放されリニューアルしたエリザベス女王杯に出走。このレースで1番人気に推されたダンスパートナーはヒシアマゾンらを退けて優勝、GI2勝目を挙げた。エリザベス女王杯後、ジャパンカップ10着、有馬記念6着と勝てなかったものの、ダンスパートナーはJRA賞最優秀5歳以上牝馬を受賞している。
6歳

1997年、初戦となった香港クイーンエリザベス2世カップに出走するが8着に敗れた。続く鳴尾記念では河内洋とコンビを組んだが、3着に終わった。宝塚記念は引き続き河内が騎乗したが、前年に続きマーベラスサンデーの3着に終わった。

秋は京都大賞典2着を経て、エリザベス女王杯に出走して連覇を目指したが、ゴール前の最後の直線で馬群に突っ込む不利を蒙りながらエリモシックとの競り合いに持ち込んだが、2着に競り負けて連覇はならなかった。続く有馬記念は、終始後方のまま全く走らずシルクジャスティスの14着に敗れ、このレースを最後に現役を引退した。

現役時代は前述の通り、出遅れ癖や気性的な面から追い込みを主とした脚質だったため、展開が向かないなどの惜敗(2着が9回ある)が多く[1]、通算成績は25戦4勝(うち重賞3勝)にとどまっている。
競走成績

年月日競馬場競走名格頭数オッズ
(人気)着順騎手斤量
[kg]距離(馬場)タイム
(上り3F)タイム
差勝ち馬/(2着馬)
1995.01.29
小倉4歳新馬1602.70(1人)01着増井裕53芝1200m(良)1:10.6 (35.2)-0.3(ゲイリーアタック)
0000.02.18京都エルフィンSOP1203.80(2人)02着角田晃一53芝1600m(良)1:35.3 (34.9)-0.1シェイクハンド
0000.03.11京都チューリップ賞GIII1102.40(2人)02着武豊54芝1600m(良)1:35.1 (36.1)-0.0ユウキビバーチェ
0000.04.09京都桜花賞GI1807.60(3人)02着武豊55芝1600m(稍)1:34.4 (35.3)-0.0ワンダーパヒューム


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