ダンスインザダーク
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、日本の競走馬について説明しています。デンマークの映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』については「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を、レディー・ガガのアルバムについては「ダンス・イン・ザ・ダーク」をご覧ください。

ダンスインザダーク
ダンスインザダークと武豊(1995年)
欧字表記Dance In The Dark
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕 (1993-06-05) 1993年6月5日
死没2020年1月2日(27歳没)
サンデーサイレンス
ダンシングキイ
母の父Nijinsky
生国 日本北海道千歳市
生産者社台ファーム千歳
馬主(有)社台レースホース
調教師橋口弘次郎栗東
厩務員池平勉
競走成績
タイトルJRA賞最優秀4歳牡馬(1996年)
生涯成績8戦5勝
獲得賞金3億7955万1000円

勝ち鞍

GI菊花賞1996年
GII弥生賞1996年
GII京都新聞杯1996年


テンプレートを表示

ダンスインザダーク(Dance In The Dark)は、日本競走馬種牡馬である。

1996年菊花賞優勝馬で、同年のJRA賞最優秀4歳牡馬を受賞した。主戦騎手武豊。種牡馬としては菊花賞父仔制覇を達成したザッツザプレンティデルタブルーススリーロールス、2004年の安田記念を制したツルマルボーイと4頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

馬名の由来は母のダンシングキイと、黒鹿毛の馬体からの連想である。
経歴
デビュー前

1993年6月5日、北海道千歳市社台ファームに生まれる。父は後に13年連続のリーディングサイアーとなるサンデーサイレンス、母はアメリカから輸入されたダンシングキイ。6月と遅生まれであったが、管理調教師となる橋口弘次郎によれば、当歳秋の時点で馬体に「大物感」があり、クラシックを狙える馬と感じたという[1]。競走年齢の3歳を迎えた1995年には全姉ダンスパートナー優駿牝馬(オークス)に優勝、半兄エアダブリンも活躍を見せており、血統面でも大きな注目を集める存在となった。

1995年夏、この年の6月に佐野量子との挙式を行い、挨拶を兼ねて社台ファームを訪れていた武豊が吉田照哉から、「関東にも一頭、凄いのが行くことになっているんだけど、こっちは関西の大将格になると思うよ。今のうちにツバをつけといたほうがいいんじゃない?」と勧められ、本馬に騎乗[2]。その動きに強い印象を受けた武は、関西に戻ったのち直ちに橋口の元へ赴き、自ら主戦騎手に立候補した[3]。なお、吉田照哉が言っていた「関東に行く凄い一頭」は、翌年ダンスインザダーク、ロイヤルタッチイシノサンデーとともに「サンデー四天王」として総称されるバブルガムフェローだった[4]
戦績
3歳時(1995年)ダンスインザダークと武豊(ラジオたんぱ杯3歳ステークスにて)

橋口は初戦の段階から東京優駿(日本ダービー)を見据えたローテーションを企画、12月3日の阪神競馬第4競走で初戦を迎えた。レースは後方待機から、直線で終始内側に斜行を続けながらも先行馬を差し切って勝利を挙げた[3]。続いて、デビュー前から予定していたラジオたんぱ杯3歳ステークスに向かう。本競走には、同じく武が騎乗して新馬戦を勝ったサンデーサイレンス産駒・ロイヤルタッチも出走していたが、武は本馬を選択した[注 1]。当日はやはりサンデーサイレンス産駒のイシノサンデーに次ぐ2番人気に支持された。しかし最後の直線でロイヤルタッチ、イシノサンデーに突き放され、両馬から3馬身半差の3着に終わった。
4歳時(1996年)

翌年4歳初戦は、クラシックに向けてきさらぎ賞から始動。再戦したロイヤルタッチと競り合い、クビ差の2着となる。次走・弥生賞皐月賞トライアル)ではイシノサンデーを3着に退けて快勝。橋口によれば「遅生まれの分、成長が遅かった」が、この勝利で「きさらぎ賞で対戦した有力馬には負けないという確信を得た」と語っている[1]

続いてはクラシック初戦・皐月賞へ臨む予定であったが、競走6日前に熱発(発熱)が判明し、回避を余儀なくされた[注 2]。これを受けて、目標とした東京優駿へは直行というプランもあったが、状態の回復が早く[7]、トライアル競走のプリンシパルステークスに出走。2着に2馬身差を付けて快勝し[8]、6月2日、東京優駿を迎えた。

当日は皐月賞に優勝したイシノサンデー、同2着のロイヤルタッチを抑えて1番人気に支持された。レースでは2-4番手を追走、直線で先頭に立つと後続馬を突き放した。しかし後方から追い込んだフサイチコンコルド(7番人気)にゴール前で一気に交わされ、クビ差の2着に敗れた。武は交わされた瞬間「えっ、嘘だろう」と思ったといい[9]、橋口は「頭の中が真っ白ですよ。あのとき周囲に人がいなかったら、その場にへたりこんでいたでしょうね」と回顧している[10]。フサイチコンコルドはここまで2戦2勝。プリンシパルステークスにも出走予定があったが、熱発で回避していた。橋口は「僕はずっと前からあの馬(フサイチコンコルド)は強いと言い続けていましたから、プリンシパルステークスに出てきていれば、当然マークした所なんですけどね」と悔いた[7]

競走前、陣営はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの出走計画を立てていたが、この敗戦により中止となり、ダンスインザダークは休養に入った。

夏は社台ファームで休養に充てた後、9月に帰厩。翌月の京都新聞杯から始動し、ロイヤルタッチ、イシノサンデー等を退けて勝利を収めた。なお、この勝利によりクラシック三冠分のトライアルレース制覇が成立したため1981年のサンエイソロン以来史上2頭目の「トライアル三冠馬」[11]となり11月3日にクラシック最終戦・菊花賞を迎える。

当日は本馬が1番人気、復帰初戦のカシオペアステークスで敗れていたフサイチコンコルドが2番人気となった。ダンスインザダークは中団からレースを進めたが、周回2周目の第3コーナーから最終コーナーにかけて、失速してきた先行馬に進路を塞がれ、直線では後方12番手という位置取りとなった。しかも直線入口では、最内で前が詰まった状態。しかし武は馬群を避けて徐々に外に持ち出すと、最後は先頭を行ったロイヤルタッチを一気に交わし、1着で入線。春の雪辱を果たす形でクラシック最後の一冠を制した。推定上がり3ハロンは33秒8という、長距離競走としては破格のタイムであった。橋口は進路を失って下がった瞬間を「これは駄目だ、掲示板もないかと思いました」と述懐し、「武騎手でなければ勝てていません。別の騎手なら3着だったでしょうね」と、直線での武の手綱捌きを賞賛した[12]

しかし菊花賞の翌日、屈腱炎を発症している事が判明、そのまま引退し、種牡馬となることが発表された[13]。当年の年度表彰では、フサイチコンコルド、4歳馬として戦後初めて天皇賞(秋)を制したバブルガムフェローを抑え、最優秀4歳牡馬に選出された。
種牡馬時代

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。2004年の全日本種牡馬リーディング2位、2006-07年オセアニア種牡馬リーディング4位の実績を残し、サンデーサイレンスの後継種牡馬の1頭となっている。しかしツルマルボーイが4シーズンで種牡馬としての供用を打ち切られ、ザッツザプレンティはシーズン3年目の種付け頭数が5頭となり、その後の2010年に種牡馬引退、デルタブルースは引退後乗馬になるなど、ダンスインザダーク自身は有力な後継種牡馬を出せていない。なおダンスインザダーク産駒では、他にダイタクバートラムタガノマイバッハらが種牡馬入りしている。

2011年10月にブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動、2012年からは同ステーションで種牡馬を続行する。

2014年12月、社台スタリオンステーションに移動し2015年からは同ステーションで種牡馬生活を続行する[14]

2017年1月、種牡馬を引退した[15]

2020年1月2日老衰による起立不能により死亡(27歳没)[16][17]
競走成績

年月日競馬場レース名頭数人気着順距離状態)タイム
上り3F)タイム
騎手斤量
[kg]馬体重
[kg]勝ち馬(2着馬)
1995.12.3阪神3歳新馬1111着芝1600m(良)1:35.3(35.6)-0.1武豊54498(マチカネヒガノボル)
12.23阪神ラジオたんぱ杯3歳SGIII1523着芝2000m(良)2:03.3(35.5)-0.6武豊54504ロイヤルタッチ
1996.2.4京都きさらぎ賞GIII1022着芝1800m(良)1:48.2(34.7)-0.0武豊55500ロイヤルタッチ
3.3中山弥生賞GII1321着芝2000m(良)2:02.7(35.1)-0.2武豊55498(ツクバシンフォニー
5.11東京プリンシパルSOP1311着芝2200m(良)2:13.9(34.8)-0.3武豊56500(トピカルコレクター)
6.2東京東京優駿GI1812着芝2400m(良)2:26.1(35.0)-0.0武豊57502フサイチコンコルド
10.13京都京都新聞杯GII1111着芝2200m(良)2:14.1(34.5)-0.1武豊57506(カシマドリーム)
11.3京都菊花賞GI1711着芝3000m(良)3:05.1(33.8)-0.1武豊57502(ロイヤルタッチ)

ダンスインザダークとスペシャルウィーク

武はダンスインザダーク引退から2年後、同じサンデーサイレンス産駒のスペシャルウィークで東京優駿を制し、念願のダービージョッキーとなった。武によれば両馬は「体型も乗り味も全体の雰囲気も」非常によく似ていたといい、初めてスペシャルウィークに乗った際の印象として、「牧場で初めてダンスインザダークに乗った時のことを思い出しました」と述べている[18]。また調教師はダンスパートナーと同じ白井寿昭であり、担当厩務員も同じ村田浩行だったため楽しみは余計に大きくなったと語っている[19]。白井は自身が管理したダンスインザダークの姉・ダンスパートナーに似た印象を持ったとしている。スペシャルウィークの母の父マルゼンスキーは母の父であるニジンスキーの仔であり、血統構成も似ている。
産駒
GI級競走優勝馬

1998年産

ツルマルボーイ安田記念金鯱賞中京記念


2000年産

ザッツザプレンティ菊花賞ラジオたんぱ杯2歳ステークス


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef