ダンケルク_(戦艦)
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艦歴
発注
起工1932年12月24日
進水1935年10月2日
就役1937年5月1日
退役1942年
その後1942年11月27日にドック内で自沈
除籍1945年
性能諸元
排水量基準:26,500トン
全長215.14 m、209 m(水線長)
全幅31.1 m
吃水8.7?9.63 m
機関インドル式重油専焼水管缶6基+ラテュ式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大出力135,585hp
最大速力31ノット(通常時)
乗員1,381名
兵装33cm(52口径)4連装砲2基、
13cm(52口径)連装両用砲2基
 +同4連装両用砲3基、
37mm(60口径)連装機関砲10基、
13.2 mm(76口径)連装機銃16基
艦載機水上機4機(常用3機、予備1機)、
カタパルト1基

ダンケルク (Dunkerque) は、フランス海軍ワシントン海軍軍縮条約の規定により建造し[1]第二次世界大戦で運用した戦艦[2]。列強各国からは巡洋戦艦と見做されることもある[3][4][注釈 1][注釈 2]
概要

ダンケルク (Dunkerque) は[7]、フランスが1932年(昭和7年)12月から1937年(昭和12年)5月にかけて建造した高速戦艦で[8]ダンケルク級戦艦ネームシップ[注釈 3]フランス公式の分類は戦列艦[注釈 4][注釈 5]。艦名は同国の港湾都市ダンケルクに因む。姉妹艦はストラスブール[9] (Strasbourg) [注釈 5]

1939年(昭和14年)9月以降の第二次世界大戦緒戦において、ダンケルク級は襲撃部隊に所属していた。イギリス海軍の艦艇と共に、大西洋での船団護衛任務やドイツ海軍の通商破壊艦に対する警戒任務に従事した[11]。11月下旬、本艦は巡洋戦艦フッドを率いて北海に進出し[12]シャルンホルスト級戦艦ポケット戦艦を捜索した[13]

1940年(昭和15年)6月下旬のフランス降伏とヴィシー政権発足時、本艦を含む襲撃部隊の大部分はメルス・エル・ケビールに停泊していた[14]。イギリスはフランス艦隊が枢軸国接収されるのを防ぐため[15]7月3日に巡洋戦艦フッド[12]と空母アーク・ロイヤルを主力とするH部隊 (Force H) でフランス艦隊を攻撃した[16]。このメルセルケビール海戦レバー作戦において[17]、ダンケルクは艦砲射撃と空襲により損傷し、着底する[18]。浮揚修理後、1942年(昭和17年)2月にトゥーロンに戻った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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