紋章地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡庁所在地:ダルムシュタット
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度53分55秒 東経08度40分32秒 / 北緯49.89861度 東経8.67556度 / 49.89861; 8.67556
296,900人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:451 人/km2
ナンバープレート:DA, DI
自治体コード:
06 4 32
郡の構成:23 市町村
行政庁舎の住所:Jagertorstrase 207
64289 Darmstadt
ウェブサイト: ⇒www.ladadi.de
郡長:クラウス・ペーター・シェルハース (Klaus Peter Schellhaas)
州内の位置
地図
ダルムシュタット=ディーブルク郡 (ドイツ語: Landkreis Darmstadt-Dieburg) はヘッセン州ダルムシュタット行政管区に属す郡。隣接する郡は、北がオッフェンバッハ郡、東がバイエルン州のアシャッフェンブルク郡とミルテンベルク郡、南がオーデンヴァルト郡とベルクシュトラーセ郡、西がグロース=ゲーラウ郡である。また、郡独立市のダルムシュタットが郡西部に北から突き出す形で入り込んでいる。
郡行政の中心地はダルムシュタットのクラニヒシュタイン区にある。さらにディーブルク、グロース=ウムシュタット、プフングシュタットに支局がある。 ダルムシュタット=ディーブルク郡は、オーデンヴァルトの北西突出部の縁に位置する。その地勢は一様ではない。郡西部のヴァイターシュタット、グリースハイム、プフングシュタットはヘシシェ・リート 現在のダルムシュタット=ディーブルク郡の郡域は早くから入植が行われた地域である。石器時代や鉄器時代の痕跡が多くの場所で見られる。フィッシュバッハタールの環状壁は、ケルト時代
地理
歴史
ローマ人が退いた後、まずはアレマン人、次いで506年からフランク人がこの郡の領域を支配した。「ハイム」で終わる地名はいずれもフランク人が築いた集落である。
その後、この地域は様々な支配下に置かれた。西部ではカッツェンエルンボーゲン伯が、ダルムシュタット、グロース=ゲーラウ、ツヴィンゲンベルク、オーバー=ラムシュタットといった街を造り、ラインハイムを都市に昇格させた。郡西部のヴァイターシュタットやグリースハイムはこの伯の支配下に入った。伯はダルムシュタットとグロース=ゲーラウに居城を設け、プフングシュタットとゼーハイムにそれぞれ独立した地方行政官庁を置いた。1476年にカッツェンエルンボーゲン伯領はヘッセン領に移された。郡東部の歴史は、かなり複雑である。いくつかの集落を併せた程度の小領主とそれよりもやや大きな領主があったが、いずれも現在の町村レベルの領土を獲得するに至らなかった。それらが採った道は地元豪族の管理下に糾合するか(たとえばエッパーツハウゼン)、より大きな伯や諸侯に従属するか、のいずれかであった。グロース=ゲーラウは、ライン宮中伯とハーナウ伯の力を頼り、バーベンハウゼンは全域がハーナウ伯に従った。ディーブルクはマインツ選帝侯の支配下に入り、これによりマインツ選帝侯はラインヘッセン地方の領土とウンターフランケンの所領の間を結びつけることに成功した。宗教改革によって、ほぼ全域がプロテスタントに改宗されたが、ディーブルク、ミュンスター、エッパーツハウゼンはカトリックの飛び地として残された。
1803年の帝国代表者会議主要決議後、全域がヘッセン=ダルムシュタット方伯、後のヘッセン大公領となった。ここにダルムシュタット、ラインハイム、ディーブルクのアムト(地方行政管区)が設けられ、ダルムシュタットの西側部分は時代によってはアムト・グロース=ゲーラウの管轄下に置かれたこともあった。その後プロヴィンツ・シュタルケンブルクの下位にダルムシュタット郡とディーブルク郡が設けられた。
1938年にダルムシュタットが郡独立市となり、郡から分離された。しかし分離後の新しいダルムシュタット郡の郡庁はダルムシュタット市に残された。ディーブルクは、新しいディーブルク郡の郡庁都市であったが、いくつかの機関はグロース=ウムシュタットに移された。1977年1月1日に、ヘッセン州の郡域再編の一環として両郡が合併し、ダルムシュタット=ディーブルク郡が成立した。この際、いくつかの集落が他の郡に分離された。フレンキシュ=クルムバッハがオーデンヴァルト郡に、オーバー=ローデンとウアバーラハ(現在はどちらもレーデマルクの市区)およびニーダー=ローデン(現在はローダウ市の市区)がオッフェンバッハ郡に編入された。行政機能の所在地は、郡独立市のダルムシュタットに置かれることとなり、ディーブルクには支所が置かれた。2004年末にすべての郡行政機能がダルムシュタットのクラニヒシュタイン区に移された。 2021年の郡議会選挙結果と議席数[2]政党得票率議席数 アルフレート・ヤコウベク (SPD) は、1997年3月2日に55.6%の票を獲得して当選した。また、2003年4月27日の選挙で62.0%の票を得て再選されている。2008年9月9日、アルフレート・ヤコウベクは次回の2009年4月26日の選挙には立候補しないことを表明した。2009年4月26日にクラウス・ペーター・シェルハース (SPD) は、54.4 % の票を獲得して郡長に選出された。彼は2009年10月1日に郡長に就任した。 図柄: 金地と青地に上下二分割。上部は青い爪と舌を出した獅子。前足に赤い6本スポークの輪を持っている。下部は23個の星が描かれている[3]。 獅子はカッツェンエルンボーゲン伯の紋章の意匠であり、輪はマインツの輪、23個の星はこの郡に属す23の市町村を示している。市町村を表す星は旧ダルムシュタット郡の紋章にも使われていたデザインで、それには41個の星が描かれていた。この紋章は1978年6月16日にヘッセン州内務省の認可を得た。 ハイテク先進地域のダルムシュタット=ディーブルク郡は、23市町村、人口約29万人で、フランクフルト=ライン=マイン=ネッカー大都市圏の主要部分をなしている。 郡域西部を連邦アウトバーンA5号線(ハイデルベルク - フランクフルト・アム・マイン)とA67号線(マンハイム - ダルムシュタット)が通っている。
行政
郡議会
SPD32.223
CDU25.618
GRUNE18.813
FDP6.04
AfD6.04
DIE LINKE.3.43
Unabhangige Wahlergemeinschaften2.62
FREIE WAHLER2.62
Klimaliste1.71
Die PARTEI1.21
DKP0.50
合計100.071
投票率53.46
郡長
ディーブルク郡
1977年 - 1985年: フランツ=ヘルマン・カッペス (CDU)
1985年 - 1997年: ハンス=ヨアヒム・クライン (SPD)
1997年 - 2009年: アルフレート・ヤコウベク (SPD)
2009年 - : クラウス・ペーター・シェルハース (SPD)
紋章
経済と社会資本
経済
交通
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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