ダリウス・ミヨー
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ダリウス・ミヨー
Darius Milhaud
1926年撮影
基本情報
生誕1892年9月4日
フランス共和国
エクス=アン=プロヴァンス
死没 (1974-06-22) 1974年6月22日(81歳没)
スイスジュネーヴ
ジャンルクラシック音楽
職業作曲家
ピアニスト
指揮者
担当楽器ピアノ
活動期間1909年 - 1972年
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ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud [da?jys mijo], 1892年9月4日 - 1974年6月22日)は、フランス人作曲家。名はダリユス、ダリュスとも表記される。ピアニスト指揮者としても活躍し、自作の録音を残している。フランス6人組の一人。
概要

フランスプロヴァンス地方のマルセイユで生まれ、エクス=アン=プロヴァンスで育ち、スイスジュネーヴで没した[1]第二次世界大戦期以降はアメリカでも活動した。

生まれつき小児麻痺を患っていたため、車椅子を使う機会が多かった。1920年代以降はリウマチにも悩んでいた。

作曲意欲は旺盛で、様々な楽器編成を試みたり、タンゴジャズにも影響を受けたりした。また映画音楽にも筆を染め、創作活動は亡くなるまでその衰えを見せなかった。
生涯
i

1892年に、南フランスプロヴァンス地方のエクス=アン=プロヴァンスにおいて、アーモンド取引で財をなした富裕なユダヤ人の家庭に生まれる。父は商館をとりしきるかたわら地元の音楽協会の中心人物を務め、母はかつてパリで声楽を学んでいた[2]。このような環境の中、7歳で地元の音楽家レオ・ブルギエにヴァイオリンを学び、1904年からはブルギエの四重奏団で第2ヴァイオリン奏者となる[3]。この頃にクロード・ドビュッシー弦楽四重奏曲を勉強し、1902年に初演されたばかりの『ペレアスとメリザンド』の楽譜を入手する。また同じ頃、地元の軍楽隊の音楽隊長から和声法を学びつつ作曲を始めるが、学んだ和声法は生かされず、独自の和声進行によるヴァイオリンソナタを書いた[4]

1909年パリ音楽院に入学。パリでは頻繁に演奏会に通い、モーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』初演や、発足まもないバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演などに刺激を受け、ドビュッシー、モデスト・ムソルグスキーに傾倒する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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