ダリア・グリバウスカイテ
[Wikipedia|▼Menu]

ダリア・グリバウスカイテ
Dalia Grybauskait?


リトアニア共和国
第5代 大統領
任期2009年7月12日2019年7月12日
欧州連合
欧州委員会財政計画・予算担当委員
任期2004年11月22日2009年7月1日
欧州連合
欧州委員会文化・教育担当委員
任期2004年5月1日2004年11月11日

出生 (1956-03-01) 1956年3月1日(65歳)
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 ヴィリニュス
政党無所属
署名

ダリア・グリバウスカイテ(Dalia Grybauskait?、IPA: [d???l?? ??r?i?b??s?k????t??e?] [ダリェ・グリーバウスカイティェー]、1956年3月1日 - )は、リトアニアの政治家。同国大統領(在任: 2009年7月12日 - 2019年7月12日)、外務副大臣、財務大臣、欧州委員会文化・教育担当委員(在任: 2004年5月1日 - 2004年11月11日)、欧州委員会財政計画・予算担当委員(在任: 2004年11月22日 - 2009年7月1日)を務めた。リトアニア初の女性の国家元首で、しばしば「鉄の女」と称される。リトアニア語のほか、英語ロシア語ポーランド語フランス語に堪能[1]目次

1 政治家になるまで

2 政治家として

3 欧州委員会委員

4 2009年大統領選挙

5 大統領職

6 脚注

政治家になるまで

グリバウスカイテは、1956年3月1日ヴィリニュスの労働者の家庭に生まれる。母は販売員のヴィタリヤ・コルサカイテ(Vitalija Korsakait?、1922年 - 1989年、ビルジャイ地方生まれ)、父は電気技師で運転手のポリカルパス・グリバウスカス(Polikarpas Grybauskas、1928年 - 2008年)。

グリバウスカイテはサロメヤ・ネリス高校に通っていたが、本人によれば特によくできる生徒ではなく、成績もほとんどが5段階中4であったと語っている。最も好きな教科は歴史地理物理であった[2]

11歳の頃スポーツを始め、バスケットボールの選手となる[2]。19歳の時にリトアニア国立音楽協会で1年間働き、その後ジダーノフ記念レニングラード国立大学(現・サンクトペテルブルク大学)の学生となり政治経済学を学んだ[3]。また同時に地元の工場で働きはじめている。1983年、グリバウスカイテは大学を卒業(経済学士)、ヴィリニュスに戻りリトアニア科学アカデミーの秘書となる。しかし彼女はその後ヴィリニュスの高校へ移り、そこで政治経済学や国際金融を教える[3]1988年モスクワのソヴィエト連邦共産党中央委員会社会科学アカデミー(現・ロシア国務アカデミー)に博士論文を提出した(社会科学博士)。

1990年、リトアニアがソ連からの独立回復を宣言した直後、彼女はアメリカワシントンD.C.ジョージタウン大学に移り、国際関係学部 (School of Foreign Service) の上級幹部向けのプログラムで研究を続けた[1]
政治家として

1991年から1993年まで、リトアニア共和国国際経済関係省の欧州局長を務めた。1993年には外務省の経済関係局で働き、欧州連合 (EU) 自由貿易協定への加入を担当した。1994年、EU加盟交渉特命全権公使に任命される[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef