ダラス・ブレイデン
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ダラス・ブレイデン
Dallas Braden

基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地アリゾナ州フェニックス
生年月日 (1983-08-13) 1983年8月13日(40歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2004年 ドラフト24巡目(全体727位)でオークランド・アスレチックスから指名
初出場2007年4月24日 ボルチモア・オリオールズ
最終出場2011年4月16日 デトロイト・タイガース
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


テキサス工科大学

オークランド・アスレチックス(2007 - 2011)

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ダラス・リー・ブレイデン(Dallas Lee Braden, 1983年8月13日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身(カリフォルニア州ストックトン育ち)の元プロ野球選手投手)。左投左打。
経歴
プロ入り前

1983年にアリゾナ州フェニックスで生まれるが、直後に母方の祖母ペギーに連れられてカリフォルニア州ストックトンへ移住することに[1]。ブレイデンはストックトンの小さなアパートで、母親のジョディーによって女手一つで育てられる[2]野球を始めたのは4歳のときで、当時はサンフランシスコ・ジャイアンツのファンだった[3]。フーバー・タイラー・リトルリーグでのプレイを経て、ブレイデンはアモス・アロンソ・スタッグ高校へ進学。だがこの頃から母の体調に異変が現れ、それに動揺したブレイデンの素行が荒れるようになる。3年生一学期のときには不登校となり、授業日数81日のうち79日も欠席[4]。学業成績は悪化し、喧嘩で相手を病院送りにしたこともある当時を、ブレイデンは「あの時は辛かった。母が血液検査に行くようになったけど、僕はなるべくそのことから目を背けていたかったし、そのことについて考えたくもなかった。それでどんどん破滅的になってしまった」と振り返っている[5]

このような経緯から、ブレイデンは4年制の高校に通っていながら、その半分の2年間は野球部でのプレーから遠ざかっていた。立ち直って野球部に復帰できたのは、ブレイデンによれば「僕が野球をできるように、そして刑務所へ入るようなことがないように、祖母と母がどれだけの犠牲を払ってきたか、ということを祖母から聞かされた」のがきっかけだという[4]。心を入れ替えたブレイデンは野球に打ち込む。だが母は診断の結果、皮膚がん悪性黒色腫)を患っていることが判明。およそ10か月に及ぶ闘病の末[1]、2001年5月20日に死去する[6]。母が生前に観戦に訪れた最後の試合でブレイデンは試合にこそ敗れたものの力投を見せ、これをアトランタ・ブレーブスのスカウトがチェックしていたため[7]、ブレイデンは同年のMLBドラフトでブレーブスから46巡目(全体1383位)指名されるが[8]、母を失った彼はプロ入りどころではなく、野球をやめることも考えていた。

それを思いとどまらせたのは祖母だった。彼女は「あなたのお母さんはあなたが野球をやめないように頑張ってたんだから、あなたがここでやめちゃダメ」と諭す[1]。ブレイデンは野球を続けることを決意し、カリフォルニア州サクラメントにあるアメリカンリバー・カレッジへ進学。同州ウィンタースで暮らす母の友人の家に居候しながら2年間通学した[9]。その後、テキサス州ラボックテキサス工科大学へ移る。球速が88mph(約141.6km/h)にも満たないブレイデンの投球にプロ球団のスカウトはほとんど見向きもしなかったが、たまたま同大のチームと同じ宿舎に泊まっていたオークランド・アスレチックスのスカウトは、ブレイデンがチームメイトから「投球の組み立てがいい」「彼はチームのリーダーだよ」と絶賛されていることを知り、リリーフで使えるようになるかもしれないと判断[10]
プロ入りとアスレチックス時代

2004年MLBドラフトで、アスレチックスから24巡目(全体727位)で指名されたブレイデンはプロ入りすることになる。

指名後アスレチックスと契約したブレイデンは、同年のうちにマイナーリーグのA-級バンクーバー・カナディアンズでプロデビューし、7試合に救援登板して2勝0敗2セーブ防御率2.76という成績を残す。A級ケーンカウンティ・クーガーズへ昇格後は救援から先発へ配置転換され、それ以降は先発投手として育成されることに。続く2005年は、故郷に本拠を置くA+級ストックトン・ポーツでシーズン開幕を迎え、5月にはAA級ミッドランド・ロックハウンズへと昇格。2クラス合計で23試合140.2イニングを投げて15勝5敗・防御率3.52・奪三振率8.6という成績を残し、シーズン終了後には球団からマイナー最優秀投手に選出された。だがこのときブレイデンは左肩を痛めており、後に手術[11]2006年7月に復帰したが、この年はAA級ミッドランドで足踏みとなる。マイナーリーグのシーズンを終えてからは、プエルトリコ冬季リーグ "リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコ に参加し、実戦経験を積んだ[12]

2007年もAA級ミッドランドでシーズン開幕となったが、2試合に投げただけでAAA級サクラメント・リバーキャッツへ昇格。4月19日にそこでの初登板をこなしたところで、アスレチックス先発ローテーションの一角だったリッチ・ハーデンが右肩痛で故障者リスト入りとなったため、ブレイデンはメジャーへと昇格することになった。メジャー昇格を告げられたブレイデンは祖母にそのことを報告するのだが、このときブレイデンが「おばあちゃん、戻ることになった」と悲しげに言うので、彼女が「どこへ? (AA級ミッドランドの本拠地がある)テキサス?」と聞き返すと、ブレイデンは「いや、もっと東の(メリーランド州ボルチモアだよ。メジャーへ昇格することになったから一緒に来てほしい」と答えたという[1]2008年9月5日のオリオールズ戦で。この試合は5回2失点で勝利投手となった[13]

4月24日ボルチモア・オリオールズ戦でブレイデンはメジャー初登板・初先発を果たす。味方が初回表に2点を先制し、その裏にマウンドへ上がったブレイデンは、先頭打者ブライアン・ロバーツ四球を与えるが、続くメルビン・モーラを内野ゴロ併殺打に打ち取る。


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