この項目では、アイルランドの首都について説明しています。その他の用法については「ダブリン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ダブリン
Baile Atha Cliath
Dublin
リフィー川河口に架かるサミュエル・ベケット橋
市旗市章
愛称 : The Fair City
標語 : "Obedientia Civium Urbis Felicitas"
位置
ダブリン県内のダブリンの位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度20分34秒 西経6度15分58秒 / 北緯53.34278度 西経6.26611度 / 53.34278; -6.26611
ダブリン(愛: Baile Atha Cliath、英: Dublin)は、アイルランド島東部に位置する、アイルランドの首都。
レンスター地方のダブリン県に属している。リフィー川河口、東海岸の湾に位置し、その南北に町が広がる。南にはウィックロー山地の一部であるダブリン山地に接している。2016年の人口は117万3179人だった[1]。
概要サミュエル・ベケット橋ダブリン橋としても知られるファザー・マシュー橋
アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の44%がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内最大の都市である[2]。ヨーロッパ有数の世界都市であり、重要な金融センターのひとつになっている。
市内にはアイルランド人の権利の拡大に尽力した人々やイギリスからの独立運動のために命を落とした活動家の名前が記念日や通りの名前に多く見られる。ダニエル・オコンネルに因む町の目抜き通りのオコンネル通り[注釈 1]やパトリック・ピアースにちなむピアース通り、コノリー駅などが例に挙げられる。これらは本来は別の名前がつけられていたが、1921年の独立後に改名されたものである(オコンネル通りはかつてはサックビル通りと呼ばれていた)[注釈 2]。 「ダブリン」は、初期の古典アイルランド語で「黒い水溜り」を意味する「Dubhlind/Duibhlind」に由来し、「黒い、暗い」を意味する「dubh」と、水溜りを意味する「lind」でからきている。この水溜まりは、ポドル川
名称
アイルランドの他の地域では、「Duibhlinn」という名前が付けられており、「Devlin」[3]、「Divlin」[4]、「Difflin」[5]と様々な形で英語化されている。歴史的には、インシュラー体では、「b」の上に点をつけ、「bh」と書き、「Du?linn」または「Dui?linn」と表現していた。アイルランド語の知識がなかった者は、ドットを省略し、「Dublin」と表記した。
現在では、ヴァイキングの入植地が、キリスト教の教会的な入植地として知られる「Duibhlinn」に先行していたと考えられており、そこから「Dyflin」の名前が付けられた[6]。9世紀と10世紀には、現在の街がある場所に2つの集落があった。841年頃のヴァイキングの集落である「Dyflin」と、川をさらに遡ったところにあったゲール人の集落である「Ath Cliath」は、チャーチ通りの下の方にある現在のファーザー・マシュー橋(ダブリン橋としても知られている)にある[7]。「Baile Atha Cliath」は、「編み垣の渡瀬の町」という意味で、現代アイルランド語ではダブリンを指すのに使われている。「Ath Cliath」は、ファザー・マシュー橋付近にある、リフィー川の分岐点を指している地名である。同名の町は他にもあり、例えばスコットランドのイースト・エアシャーのハールフォードには、「Ath Cliath」とスコットランド・ゲール語で表記されている。 ダブリンはリフィー川の河口に位置し、アイルランドの東中央部に位置する約115km2の土地面積を持つ。南はダブリン山地と呼ばれる低山地帯とウィックロー山脈の亜山脈に囲まれ、北と西は平坦な農地に囲まれている[8]。
地理
位置
地形
水域アイリッシュ海に注ぐリフィー川により、ダブリンは北岸
リフィー川はダブリンを北岸と南岸の間で2つに分けている。リークスリップで北東方向から東方向にカーブしており、この地点で農地利用から都市開発への移行が行われている。
南東にダブリン湾に注ぐトルカ川(英語版)と北東に流れるドダー川があり、リフィー川には複数の支流が存在している。また、複数の小川も海に流れている。