同名のアルバムについては「ダニー・ハサウェイ (アルバム)」をご覧ください。
ダニー・ハサウェイ
出生名ダニー・エドワード・ハサウェイ
生誕1945年10月1日
出身地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没 (1979-01-13) 1979年1月13日(33歳没)
ジャンルシカゴ・ソウル, R&B
職業歌手, ソングライター, アレンジャー
担当楽器ヴォーカル, ピアノ/キーボード
活動期間1969-1979
レーベルアトコ・レコード
共同作業者ロバータ・フラック
アレサ・フランクリン
ジョー・コッカー
ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway、1945年10月1日 - 1979年1月13日)は、アメリカのソウル・シンガー、ミュージシャン、シンガーソングライター。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第49位[1]。 イリノイ州シカゴ生まれ。幼い頃から聖歌隊で歌い、ピアノを学ぶ。後にハワード大学に進学しクラシックを学んだ。大学卒業後は作曲家、ミュージシャンとしてカーティス・メイフィールドらの下でキャリアを積み、1969年にジューン・コンクエストとのデュエット・ナンバー「I Thank You Baby」を発表し、同年末にアトコ・レコードからシングル「The Ghetto, Pt. 1」を発表してソロ・デビューを果たした[2]。 ハワード大学で音楽教育を受け、洗練されシャウトをしない音楽スタイルは、従来の黒人アーティストとは一線を画し、また「ザ・ゲットー」などの曲で黒人社会が抱える問題にも踏み込んだ。そのため、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドらと共に「ニュー・ソウル」と呼ばれ、新世代の黒人アーティストとして脚光を浴びた。 1971年にはロバータ・フラックとのデュエットによるキャロル・キングのカヴァー「きみの友だち」がヒットを記録[2]。1972年にはソロ・アルバム『ライヴ』[3]が全米18位となり「君の友だち」での聴衆の合唱などは、聴く者に鮮烈な印象を与えた。同年の「ディス・クリスマス」もUS#11となり、21世紀になってからもクリスマス・シーズンには、ラジオでオンエアされている。 またロバータ・フラックとのアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』が全米3位のヒットとなり、フラックとデュエットした「恋人は何処に」でグラミー賞最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞(デュオまたはグループ部門)を受賞した[4]。また、映画『ハーレム愚連隊
略歴
1977年、ロバータ・フラックのアルバム『愛の世界』収録曲「私の気持ち(The Closer I Get to You)」にゲスト参加して表舞台に復帰[2]。このころからエムトゥーメイとレジー・ルーカスが作曲などに参加し、優れた楽曲を提供するようになった。また、ジョー・コッカーのアルバム『Luxury You Can Afford』(1978年)では2曲のレコーディングに参加[8]。そして、フラックとのデュエットによる新作アルバムも制作されていたが、1979年1月13日にニューヨークのエセックス・ハウス・ホテルから転落して33歳で死去[2]。現場に争った形跡はなく、公式には自殺とみなされているが[2]、ハサウェイの妻や友人は、自殺ではなく事故死だったと主張している[7]。ハサウェイのラスト・レコーディングとなった2曲は、フラックのアルバム『ダニーに捧ぐ』(1980年)に収録された。死後の1980年には「Back Together Again」がヒットしている。
ハサウェイの音楽は本人の没後も評価され、アレクサンダー・オニール、アーロン・ホール、アリシア・キーズ[1]、R・ケリー[1]、ジョン・レジェンド[1]、カーク・ウェイラム[9]、平井堅 [10]ら多数のミュージシャンに影響を与えた。
娘にソウル、ジャズ歌手のレイラ・ハサウェイ(姉)とケニア・ハサウェイ(英語版)(妹)を持つ。
ディスコグラフィ
アルバム
スタジオ・アルバム
1970年: 新しきソウルの光と道 - Everything Is Everything (Atco) - US #73, R&B #33
1971年: ダニー・ハサウェイ - Donny Hathaway (Atco) - US #89, R&B #6
1972年: ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ - Roberta Flack & Donny Hathaway (Atlantic) - US #3, R&B #2
1973年: 愛と自由を求めて - Extension Of A Man (Atco) - US #69, R&B #18
1980年: ダニーに捧ぐ - Roberta Flack Featuring Donny Hathaway (Atlantic) - US #25, R&B #4 - 2曲に参加
ライヴ・アルバム
1972年: ライヴ - Live (Atco) - US #18, R&B #4
1980年: イン・パフォーマンス - In Performance (Atlantic) - R&B #68