ダニエル・リカルド
Daniel Ricciardo
AM
ダニエル・リカルド
(2024年)
基本情報
フルネームダニエル・ジョセフ・リカルド
Daniel Joseph Ricciardo
略称表記RIC
国籍 オーストラリア
出身地同・西オーストラリア州パース
生年月日 (1989-07-01) 1989年7月1日(34歳)
F1での経歴
活動時期2011-
過去の所属チーム'11 HRT
'12-'13 トロ・ロッソ
'14-'18 レッドブル
'19-'20 ルノー
'21-'22 マクラーレン
'23 アルファタウリ
所属チーム'24- RB
車番3
出走回数248 (247スタート)
タイトル0
優勝回数8
表彰台(3位以内)回数32
通算獲得ポイント1,322
ポールポジション3
ファステストラップ16
初戦2011年イギリスGP
初勝利2014年カナダGP
最終勝利2021年イタリアGP
2023年順位17位 (6ポイント)
(記録は2024年第8戦モナコGP終了時)
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ダニエル・ジョセフ・リカルド(Daniel Joseph Ricciardo, AM 1989年7月1日 - )は、オーストラリア・西オーストラリア州パース出身のレーシングドライバー。
モータースポーツ・コンストラクター『レッドブル・レーシング』の下部組織出身で、主に同傘下のF1チーム「トロ・ロッソ」「レッドブル」や「ルノー」などに在籍した。
(※ダニエル・リチャルドとも表記される。両親がイタリア出身のため、姓をイタリア語読みでリチャルドと名乗っているが、本人はオーストラリア生まれのため英語風にリカルドと発音している[1]) 9歳でカートを始め、数多くのイベントに出場して実践を積む。2005年、Van Diemen社製の古いマシンで西オーストラリア・フォーミュラ・フォード選手権に参戦し総合8位。 2006年、Eurasia Motorsportチームからフォーミュラ・BMW・アジア選手権に参加できるスカラシップを獲得。2勝と1ポールポジションを挙げ、総合3位でデビューシーズンを終える。同年8月にはMotaworld Racingチームからフォーミュラ・BMWの1ラウンドに参加する権利を得て、第1レースはリタイアしたものの第2レースで8位入賞。年の終わりにFortec Motorsportチームからフォーミュラ・BMW・ワールド・ファイナルと呼ばれる一戦に参加し5位入賞。 2007年、Rp Motorsportチームからフォーミュラ・ルノーのユーロカップ、イタリアという2つの選手権に参加。主には後者に力を入れ、前者には14戦中4戦のみの出走となった。イタリアの選手権を表彰台1回、総合7位で終えたが、ユーロカップではポイントを獲得できなかった。レッドブル・ジュニア時代(2009年) 2008年よりレッドブル・ジュニアチームに加わり、フォーミュラ・ルノーのユーロカップおよびウエスト・ヨーロッパ・カップに参戦。後者シリーズの初代王者となり、前者でもバルテリ・ボッタスに続く総合2位。また、シーズン中盤にはSG Formula's Formula Three Euroseries teamからユーロF3の1ラウンドにスポット参戦。乗って間もないマシンで予選8位のタイムを叩き出す。 2009年、カーリン・モータースポーツからイギリスF3に参戦。6勝し、2位に87ポイントの大差をつけてチャンピオンとなった。オーストラリア人が同選手権を制するのは1989年のデビッド・ブラバム以来である。マカオグランプリへもここで共に戦ったカーリンのドライバーとして参加。予選レースで6位となるも、決勝ではウォールに接触し1周目でリタイアとなった。またF3のシーズン中、テック1レーシングチームからフォーミュラ・ルノー3.5の1ラウンドにスポット出走。F3を終えた後の10月30日、このテック1レーシングと契約し、フォーミュラ・ルノー3.5への翌年の参戦を決めた。チームメイトはブレンドン・ハートレイ。一方12月初旬、フォーミュラ1の若手ドライバーテストに参加。ヘレス・サーキットで行われた3日間の日程の最終日にレッドブル・レーシングから出走し、他ドライバーに1秒以上の差でトップタイムを記録[2]。翌年1月、レッドブル・レーシングとスクーデリア・トロ・ロッソのリザーブドライバーの座をブレンドン・ハートレイとシェアすることとなった[3]。 2010年はテック1レーシングよりフォーミュラ・ルノー3.5に参戦。4勝したが2ポイント差でランキング2位となる。また、リザーブドライバーとしてF1の各グランプリに帯同した。シーズン後のF1若手ドライバーテストではチャンピオンマシンのレッドブルに乗りトップタイムをマークし注目を集めた。 2011年はトロ・ロッソのリザーブドライバーとなり、各グランプリに金曜フリー走行1回目に出走したが、イギリスGPからはHRT F1チームのナレイン・カーティケヤンのシートを得て、第9戦イギリスGPよりF1デビューする。レッドブル及びトロ・ロッソのどちらのチームのシートにも空きがないため、レッドブルがシートを買った形である。チームメイトはフル参戦として4年目を迎えるヴィタントニオ・リウッツィ。戦闘力のないマシンであったため、予選決勝共に下位争いしかできなかったものの、決勝の最高位として18位を2回記録した。STR8を駆るリチャルド。 2012年はトロ・ロッソのレギュラードライバーとして参戦[4]。チームメイトは同じく初のフル参戦となるジャン=エリック・ベルニュ。開幕戦では予選Q3進出(10番手)からの9位入賞となり、キャリア初の予選Q3進出と入賞を同時に記録した[5]。最終的な成績は決勝での入賞6回を記録し、ベルニュの4回を上回ったが、最終的な獲得ポイント、最高位では共にベルニュを下回り、ドライバーズランキングは18位(ポイントを獲得したドライバーの最下位)に終わった。 2013年もトロ・ロッソに残留となり、同チームからの参戦が決定した[6]。チーム在籍2年目はベルニュが3回の入賞で13ポイント獲得に対し、7回の入賞で20ポイントを獲得した。ただし、リチャルドの最高位が7位に対し、ベルニュは6位であり、その点では敗れている。 2014年よりマーク・ウェバーの引退に伴いレッドブルへの昇格が決定した[7]。開幕戦オーストラリアGPでは、2位でチェッカーを受けるも最大燃料流量違反で失格となる。第2戦マレーシアGPではリタイアだったが、第3戦バーレーンGPと第4戦中国GPでは2連続で4位入賞を果たす。第5戦スペインGPでは3位で完走し、初の表彰台を経験する。第6戦モナコGPでも3位表彰台を獲得した。 第7戦カナダグランプリでは予選6番手からスタートし、多くのマシンがトラブルを抱えるサバイバルレースの中、粘り強いレース運びで着実にポジションを上げていき、終盤には3位まで浮上。自身もブレーキトラブルを抱えていたが、2位を走るセルジオ・ペレスをオーバーテイクする。ここで終わらずMGU-Kを失い立ち上がり加速、最高速でハンディを負うニコ・ロズベルグを遂にオーバーテイクしキャリア初優勝を果たした。 第11戦ハンガリーグランプリではスタート前の雨でウェット状態の路面が徐々に乾く混乱したコンディションの中、2度のセーフティカーを巧みに利用し、パワーユニットの出力低下でペースの上がらないルイス・ハミルトンを残り4周でオーバーテイク、さらにタイヤ摩耗に苦しむフェルナンド・アロンソをカナダグランプリと同じ残り3周で追い抜き2勝目を記録。 次戦ベルギーグランプリでは2周目にメルセデスの2台が同士討ちで後方に沈む荒れた展開の中でトップに立つと、ピットストップのタイミングを除いてそのまま独走、最終的には追い上げてきたロズベルグに迫られるも抑えきり夏休みをはさんで連勝を記録した。その後は優勝をあげることは出来なかったが、シンガポールGPとアメリカGPで3位表彰台を獲得。4年連続チャンピオンであるチームメイトのセバスチャン・ベッテルが未勝利の表彰台計4回獲得で終わる一方で、この年最強のメルセデスコンビがトラブルや接触で落としたレースすべてを拾う形で3勝も含めた表彰台計8回を記録し、ランキング3位となった。 2015年はベッテルのフェラーリ移籍に伴い、自分と同じようにトロ・ロッソから昇格したダニール・クビアトと同僚になる。シーズン前半は安定して中上位でチェッカーを受け続けたが、後半戦はノーポイントが増え、表彰台こそ計2回獲得したものの、未勝利に終わった。また、成績も全体的にはクビアトを上回る結果を残していたが、後半戦の失速が響き、最終的にはドライバーズランキング8位とクビアトに惜敗してシーズンを終えた。 2016年は開幕3戦はパフォーマンスは安定していたものの表彰台には届かないレースが続いた。第3戦中国GPでは2番手からスタートを決めて首位に浮上したがタイヤがバーストし4位。第4戦ロシアGPはチームメイトのクビアトの引き起こした接触に巻き込まれノーポイントに終わる。 第5戦スペインGPではメルセデスが同士討ちを喫したことで首位に浮上したが、このレースからトロ・ロッソより昇格しチームメイトとなったマックス・フェルスタッペンと異なるピット戦略を選んだことで、彼に優勝をさらわれた上に自身はフェラーリ勢にも敗れ4位に終わった。そのため、レース後には不満を漏らしていた。続くモナコGPではアップデートしたルノーエンジンを武器に自身初のポールポジションを獲得。しかし決勝ではピットクルーのミスによりピットイン時に必要なタイヤが用意されておらず後方のハミルトンが逆転、シケインショートカットのハミルトンの減速をあと一歩でとらえきれず2位に終わり、表彰台でも笑顔はなかった。このように序盤は自身のミスよりもタイヤバーストやピットのミスなどの不運で勝てるレースを落とすケースが多かった。 だが、ハンガリーGP以降は安定して表彰台を獲得するようになり、マレーシアGPで2年ぶりの優勝を果たした。終盤はフェルスタッペンの後塵を拝するレースが続いたが、優勝回数は2014年よりも減ったものの、最終的には2014年以来のランキング3位を獲得。その他にも2016年シーズンに参戦したドライバーの中でただ1人年間全レース完走を記録している[8]。なおモナコGPでのポールポジションは、2016年シーズンでメルセデス以外のドライバーが記録した唯一のポールポジションである。 フェラーリの躍進とレッドブルの新レギュレーション対応ミスにより、チームはなかなか優勝争いに加われず遅れをとった。しかしその状況の中でも第5戦スペインGPから5戦連続で表彰台を獲得。その中でも第8戦アゼルバイジャンGPでは序盤に大きく順位を落としながらもその後の波乱をかいくぐって順位を上げ、今シーズン初優勝を遂げた。念願のすきやばし次郎に舌鼓を打った後は、2017年日本グランプリでもフェラーリのミスに助けられて3位表彰台を得た。ランキング4位で終盤戦を迎えていたが、終盤の4戦中3戦をマシントラブルでノーポイントとなった結果、キミ・ライコネンに逆転を許しランキング5位でシーズンを終えた。 第3戦中国GPにて、中盤セーフティカー後に各チームがタイヤを温存する中でタイヤ交換すると他車を次々追い抜き今シーズン初優勝[9]。
来歴
F1
ヒスパニア・レーシングHRT時代(2011年)
2011年
(写真は2013年ヘレステストにて)
スクーデリア・トロ・ロッソ
2012年
2013年
レッドブル・レーシング
2014年RB10を駆るリチャルド。
(写真は2014年シンガポールグランプリ)
2015年
2016年2016年マレーシアGP優勝
2017年
2018年2018年中国GPで優勝
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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