ダニエル・ネスター
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ダニエル・ネスター
Daniel Nestor


ダニエル・ネスター
基本情報
フルネームDaniel Mark Nestor
国籍 カナダ
出身地ユーゴスラビア・ベオグラード
居住地バハマ
生年月日 (1972-09-04) 1972年9月4日(51歳)
身長190cm
体重86kg
利き手左
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1991年
引退年2018年
ツアー通算91勝
シングルス0勝
ダブルス91勝
生涯通算成績1147勝606敗
シングルス85勝118敗
ダブルス1062勝488敗
生涯獲得賞金$12,835,671
4大大会最高成績・シングルス
全豪3回戦(1998・99・2001)
全仏1回戦(1997-99)
ウィンブルドン(英)4回戦(1999)
全米2回戦(1995・2000)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(2002)
全仏優勝(2007・10・11・12)
ウィンブルドン(英)優勝(2008・09)
全米優勝(2004)
優勝回数8(豪1・仏4・英2・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪優勝(2007・11・14)
全仏準優勝(2006・13)
ウィンブルドン(英)優勝(2013)
全米準優勝(2003)
優勝回数4(豪3・英1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス58位(1999年8月23日)
ダブルス1位(2002年8月19日)
獲得メダル

男子 テニス
オリンピック
2000 シドニーダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ダニエル・マーク・ネスター(Daniel Mark Nestor, 1972年9月4日 - )は、カナダの男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス58位、ダブルス1位。身長190cm、体重86kg、左利きの選手。これまでにATPツアーでダブルス91勝を挙げる。

ダブルスで史上初のグランドスラムATPワールドツアー・ファイナルオリンピックマスターズ1000すべての大会を制覇した選手。
経歴

ネスターはユーゴスラビアベオグラードに生まれ、1976年に4歳でカナダへ移住した。1991年にプロ入り。1992年から男子テニス国別対抗戦デビスカップカナダ代表選手となり、カナダ代表の歴史を通じて最多記録の15年連続出場を果たしている。1995年全豪オープン男子ダブルスで、マーク・ノールズと組んで初めての決勝進出を果たすが、ジャレッド・パーマー/リッチー・レネバーグ組に敗れて準優勝になる。1996年アトランタ五輪で、ネスターはオリンピックのカナダ代表選手として初出場を果たす。男子ダブルスではグラント・コネルとペアを組み、2回戦でイギリスティム・ヘンマン/ニール・ブロード組に敗れた。1998年はノールズとのペアで全仏オープン全米オープンの男子ダブルス決勝に進出するも、決勝で敗れ、なかなか4大大会のタイトルに手が届かなかった。

2000年シドニー五輪男子ダブルスで、ネスターはセバスチャン・ラルーとペアを組み、決勝でウッディーズを5-7, 6-3, 6-4, 7-6で破って金メダルを獲得した。

2002年全豪オープン男子ダブルスで、ネスターは長年の親友マーク・ノールズと組み、決勝でミカエル・ロドラ/ファブリス・サントロ組を7-6, 6-3で破って宿願の4大大会ダブルス初優勝を達成した。この年は全仏オープンウィンブルドン選手権でもノールズとの組で決勝に進んだが、全仏ではエフゲニー・カフェルニコフ/ポール・ハーフース組に、ウィンブルドンではヨナス・ビョルクマン/トッド・ウッドブリッジ組に敗れて準優勝に終わっている。2003年全豪オープン男子ダブルス決勝戦は、2年連続でネスター/ノールズ組とロドラ/サントロ組の対決になったが、ネスター/ノールズ組は4-6, 6-3, 3-6の逆転で敗れ、大会2連覇を逃した。2004年全米オープンで4大大会2勝目を挙げた時もノールズと組んでいる。

2007年全仏オープン男子ダブルスで、ネスターとノールズは5年ぶり3度目の決勝戦に進み、ルーカス・ドロウヒー/パベル・ビズネル組に2-6, 6-3, 6-4の逆転勝利を収めた。これで2人の4大大会ダブルス優勝は3勝となった。2人は2007年の男子テニス年間最終戦テニス・マスターズ・カップダブルス部門の優勝を最後に、10年以上に及んだペアの解消を発表した。

2007年シーズンの終盤から、ネスターはネナド・ジモニッチと組んで大半のトーナメントに出場するようになった。2008年ウィンブルドン選手権において、ネスターとジモニッチのコンビは、決勝でヨナス・ビョルクマン/ケビン・ウリエット組を7-6, 6-7, 6-3, 6-3で破り、ウィンブルドン初優勝を決めた。これにより、ネスターは4大大会男子ダブルスですべてのタイトルを獲得するキャリア・グランドスラムを達成した。ネスターとジモニッチは、2009年ウィンブルドン選手権2連覇を達成した。

ネスターとジモニッチは2010年も全仏オープンなど7勝を挙げたが、ペアの解消を発表した。2011年からはネスターはマックス・ミルヌイと組むことになる。

混合ダブルスでのネスターは、2007年全豪オープンエレーナ・リホフツェワとペアを組み、マックス・ミルヌイ/ビクトリア・アザレンカ組を6-4, 6-4で破って初優勝を果たした。それまでのネスターは、混合ダブルスでは3度の準優勝で止まっていた。2003年全米オープンではリナ・クラスノルツカヤと組み、ボブ・ブライアン/カタリナ・スレボトニク組と第3セットのタイブレークまで戦ったが、結局7-5, 5-7, 6-7で敗れて準優勝になっている。2006年全豪オープン全仏オープンともリホフツェワとのペアで2大会連続の準優勝に終わったが、ついに2007年全豪オープンでリホフツェワと組んで初優勝を決めた。

4大大会シングルスでのネスターは、1999年ウィンブルドン選手権ピート・サンプラスとの4回戦に進出したことがある。彼は2006年カナダ・マスターズ1回戦敗退を最後にシングルスから撤退し、ダブルスのみに活動を絞っている。

ネスターはデビスカップ2018のワールドグループプレーオフ・オランダ戦を最後に現役を引退した[1]


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