ダニエル・クロウズ
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ダニエル・クロウズ
2010年、Alternative Press Expoにて。
生誕ダニエル・ギレスピ―・クロウズ
Daniel Gillespie Clowes
(1961-04-14) 1961年4月14日(63歳)
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
職業

漫画家

イラストレーター

脚本家

著名な実績

『エイトボール(英語版) (Eightball)』(1989年?2004年)

ゴーストワールド (Ghost World)』(1997年)

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ダニエル・ギレスピー・クロウズ(Daniel Gillespie Clowes、1961年4月14日 - )はアメリカ合衆国漫画家イラストレーター脚本家。コミック作品やグラフィックノベルは高く評価され、傑出したグラフィック・リテラチュアに対するペン賞、10回を超えるハーヴェイ賞およびアイズナー賞など数々の賞を受けている。脚本家としてもアカデミー賞の候補に挙げられたことがある。

クロウズは自らのアンソロジーコミックブック『エイトボール(英語版)』を主な発表媒体としてきた。『エイトボール』誌には毎号いくつかの短編と長篇の一部が掲載されるのが通例で、長篇は完結するとグラフィックノベルとして刊行された。その例としては『鉄で造ったベルベットの手袋のように』(1993年)『ゴーストワールド』(1997年)、David Boring(2000年)などがある。イラストレーターとしても『ニューヨーカー』、『ニューズウィーク』、『ヴォーグ』、『ヴィレッジ・ヴォイス』などの雑誌に寄稿している。また、原作者・脚本家として監督テリー・ツワイゴフと手を組み、映画版『ゴーストワールド』が2001年に、『エイトボール』初出の作品『アートスクール・コンフィデンシャル』が2006年に公開された。
経歴
生い立ちと初期の活動、1961年 ? 1988年

イリノイ州シカゴにおいて自動車整備士の母と家具職人の父の間に生まれる[1]。母はユダヤ人、父は「ペンシルバニアのとっつきにくいWASP的な一族」の出だったが、クロウズ自身は宗教的な教育を受けなかった[2][3]。1979年にシカゴ大学附属の高校を卒業後、ニューヨーク市ブルックリン区にあるプラット・インスティテュートに入学し、1984年に美術の学士号を取得した[4]

クロウズ研究者のKen Parilleによると、4歳の時にSFコミックブック『ストレンジ・アドベンチャー(英語版)』の表紙で登場人物一家が焼き殺されているのに衝撃を受け、泣きながら壁に頭を打ち付けたという[5]。後に兄から「アーチーファンタスティック・フォーなど、山と積まれた50年代と60年代の古典コミック」を譲り受けた。また、伝説的なアンダーグラウンドコミック作家ロバート・クラムと出会ったのも兄を通じてだった。[6]

1985年、最初の商業作品が『Cracked』誌に掲載された。その後1989年まで同誌への寄稿を続けた。同誌では「Stosh Gillespie」をはじめとして多くの筆名を用いたが、最後には本名を名乗るようになった。原作者モート・トッドとの共作 The Uggly Family シリーズはたびたび同誌に掲載された。1985年、ロイド・ルウェリン(Lloyd Llewellyn)というキャラクターを主人公とするコミックの第一作をファンタグラフィックス社の編集者ゲイリー・グロスに送った。同作はほどなくヘルナンデス兄弟(英語版)のコミックブックシリーズ『ラブ・アンド・ロケッツ』第13号に掲載された。1986年と1987年にはファンタグラフィックスから雑誌サイズ白黒印刷のコミックブック『ロイド・ルウェリン』が6号発行された。ルウェリンシリーズは1988年の特別号『オールニュー・ロイド・ルウェリン』で終了した。
『エイトボール』、1989年 ? 2004年

1989年、ファンタグラフィックスからクロウズの個人コミックブックシリーズ『エイトボール』が発刊された。クロウズが創刊号の扉ページに書いた紹介文は「悪意と復讐心、閉塞感、絶望と性倒錯の狂宴」であった。初期の発行部数は3000部だったという[4]。シリーズは2004年に全23号で終了したが、米国のオルタナティブコミック界で最も称賛を集めたタイトルの一つであり、20回以上賞を受けたほか、連載された長篇はすべてグラフィックノベルとして刊行されている。

第1?18号は短編を主体とした構成で、そのジャンルはコミカルな独白やフロイド的分析からおとぎ話や文化批評まで幅広い。またこれらの号には長編の一部が掲載され、完結とともにグラフィックノベルとして刊行された。『鉄で造ったベルベットの手袋のように』(1993年)、Pussey!(1995年)、『ゴーストワールド』(1997年)の三編である。第19号からは形式が一新された。大判白黒印刷で刊行された第19?21号は長篇 David Boring を1幕ずつ分載したものだった。同作は2000年にグラフィックノベルとして刊行された。再び形式が変更された第22号は『エイトボール』初のフルカラー印刷で、グラフィックノベルの長さの単発作品 Ice Haven が掲載された。最終号となった第23号でもフルカラーの単発作品「ザ・デス・レイ(英語版)」が掲載された。

1990年代初頭にシアトルレコードレーベルサブ・ポップと関係を持ち、ジー・ヘッドコーツやスーパーサッカーズなどのバンドや、『ジョン・ピール・セッションズ (The John Peel Sessions)』や The Sub Pop Video Program のようなコンピレーションのアートワークを手掛けた。クロウズがデザインしたマスコットキャラクターのパンキー (Punky) はTシャツやパドルボール(英語版)、時計などの商品にプリントされた。1994年にはラモーンズミュージック・ビデオ「大人なんかになるものか (I Don't Want to Grow Up)」にイラストレーションを提供した。
『エイトボール』以降、2005年 - 2016年

2004年の『エイトボール』終刊以降はフルカラーのグラフィックノベルに発表の場を移した。その皮切りとなった2005年の Ice Haven は『エイトボール』第22号に掲載された作品の改訂版である。2010年、ドローン&クォーターリー(英語版)社から初の書き下ろしグラフィックノベル『ウィルソン』が刊行された。翌年、パンテオン・ブックス(英語版)から Mr. Wonderful が刊行された。2007年から2008年にかけて『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌に週刊連載された作品のフォーマットを変更したもので、クロウズによれば「恋愛もの」であった[7]。同年にドローン&クォーターリーは『エイトボール』第23号初出の『ザ・デス・レイ』をハードカバーで刊行した。

この時期から『ニューヨーカー』誌の表紙を描き始めた。また、ゼイディー・スミスが編集したアンソロジー The Book of Other People(2008年)や有力な芸術系コミックアンソロジー Kramers Ergot(第7号、2008年)にコミックを寄稿した。2006年、健康の危機に直面して[8]心臓切開手術を受けた。2016年3月には過去最長のグラフィックノベル Patience が米国で発売された。

現在、クロウズは妻エリカ、息子チャーリーとともにカリフォルニア州オークランドに住んでいる[9][10]
コミック以外の活動
展示

クロウズの原画はアメリカのグループ展のほか、ベルギー、フランス、ドイツ、日本などで展示されてきた。最初の個展はロサンゼルスのリチャード・ヘラー・ギャラリーで2003年に行われた。2012年、スーザン・ミラーのキュレーションによりカリフォルニア・オークランド博物館(英語版)で最初の回顧展『モダン・カートゥーニスト: アート・オブ・ダニエル・クロウズ』が開催された。『ニューヨーカー』や自著のカバーアートを初めとして、鉛筆とペンによる原画、色鉛筆画、ガッシュ画などの作品100点を展示するものだった。この個展は2013年にシカゴ現代美術館で、2014年半ばにはオハイオ州コロンバスのウェクスナーセンターでも開催された。またヨーロッパとアジアで展示ツアーが行われる計画もある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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