ダニエル・アレヴィ
Daniel Halevy
ダニエル・アレヴィ(1885年頃)
誕生 (1872-12-12) 1872年12月12日
フランス共和国、パリ
死没 (1962-02-04) 1962年2月4日(89歳没)
フランス、パリ
職業歴史家、評論家
言語フランス語
最終学歴リセ・コンドルセ
フランス国立東洋言語文化学院
ジャンル歴史、伝記
代表作『ニーチェ』
主な受賞歴テルアンヌ賞
ダニエル・アレヴィ(Daniel Halevy、1872年12月12日 - 1962年2月4日)は、フランス、パリ出身の歴史家、評論家。ニーチェ、ヴォーバン、シャルル・ペギーなどの評伝で知られる。
父はユダヤ人作家・歴史家のリュドヴィク・アレヴィ(フランス語版)で[1][注 1]、兄は哲学者・歴史家のエリー・アレヴィ(フランス語版)[2][注 2]、友人にマルセル・プルースト、アンリ・バルビュスがいる。 1872年12月12日、フランスのパリに生まれる。両親はプロテスタントで、ダニエルもプロテスタントとして育つ。その後、リセ・コンドルセに進学し、同校出身のプルースト、フェルナン・グレーグ
生涯
1894年に起きたドレフュス事件で、スパイ容疑で有罪判決を受けたアルフレッド・ドレフュスの再審を求める運動に参加した[3]。1900年、ドレフュス事件を機に詩人・劇作家のシャルル・ペギーによって創刊された雑誌『半月手帖(フランス語版)』に協力し[3]、『われわれの過去のための弁明』(Apologie pour notre passe, 1910)を発表した。
また、グラッセ出版社(フランス語版)のカイエ・ヴェール(フランス語版)叢書の編集者として、作家や批評家に大きな影響力を持ち[1]、そのサロンにアンドレ・マルローなど多くの若い文学者が集まった。
1924年、『ヴォーバン』でアカデミー・フランセーズの歴史賞「テルアンヌ賞(フランス語版)」を受賞した[4]。
1946年にフランス学士院倫理・政治学アカデミー(フランス語版)の会員に選出された[5]。
1962年2月4日、パリにて死去[2]。
著書
Jules Michelet, 1928 -『ジュール・ミシュレ』
La Fin des notables, Hachette, Collection ≪ Pluriel ≫, 1995 (初版 1930) -『名士の終焉』
Decadence de la liberte, 1931 -『自由の退廃期』
La Republique des Comites : essai d'Histoire contemporaine (1895-1934), Grasset, Collection ≪ La Cite francaise ≫, 1934 -『委員会の共和国 - 現代史 (1895-1934)』
Visites aux paysans du Centre, Grasset, Collection ≪ D'un regard l'autre, Bleu autour ≫, 2012 (初版 1935) -『中部地方の農民視察記』
La Republique des Ducs, Hachette, Collection ≪ Pluriel ≫, 1995 (初版 1937) -『公爵の共和国』
Pour l'etude de la Troisieme Republique, Grasset, 1937 -『第三共和政の研究のために』