ダニエラ・シリバシュ
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獲得メダル

ダニエラ・シリバシュ
 ルーマニア
体操競技
オリンピック
1988ゆか
1988段違い平行棒
1988平均台
1988団体総合
1988個人総合
1988跳馬
世界体操競技選手権大会
1985 モントリオール団体
1985 モントリオール平均台
1987 ロッテルダム団体
1987 ロッテルダム個人総合
1987 ロッテルダム段違い平行棒
1987 ロッテルダムゆか
1989 シュトゥットガルト団体
1989 シュトゥットガルト段違い平行棒
1989 シュトゥットガルト平均台
1989 シュトゥットガルトゆか
ヨーロッパ体操競技選手権
銅1985 ヘルシンキゆか
金1987 モスクワ個人総合
金1987 モスクワ段違い平行棒
金1987 モスクワ平均台
金1987 モスクワゆか
銀1987 モスクワ跳馬
銀1989 ブリュッセル個人総合
金1989 ブリュッセルゆか
銀1989 ブリュッセル段違い平行棒
銅1989 ブリュッセル平均台

ダニエラ・シリバシュ(ルーマニア語: Viorica Daniela Siliva?-Harper, Daniela Siliva?、英語: Daniela Siliva?、1972年5月9日 デヴァ ? )はルーマニアデヴァ出身の女子体操競技選手である。ダニエラ・シリバスとも表記される。
主な成績

1987年
ロッテルダム世界体操選手権団体総合優勝、個人総合3位、種目別床運動優勝

1988年ソウルオリンピック団体総合、個人総合銀メダル、種目別床運動、段違い平行棒、平均台で金メダル獲得する。

1989年シュトゥットガルト世界体操選手権団体総合2位、種目別段違い平行棒、平均台、床運動優勝

プロフィール

6歳から体操を始め1981年に6ヶ月だけベラ・カロリーの指導を受けた[1]。1980年から1982年までルーマニアのジュニア選手権で優勝し、1984年のヨーロッパジュニア体操選手権の平均台で金メダル、段違い平行棒ゆかで銀メダル、個人総合で4位となった。1984年にDruzhbaで行われたジュニアフレンドシップトーナメントで個人総合と段違い平行棒で優勝した。この大会にはスベトラーナ・ボギンスカヤアウレリア・ドブレ、ダグマー・ケルステンも出場していた[2][3]。その後ルーマニア体操協会は彼女の生まれた年を1972年から1970年に改ざんしモントリオールで行われた1985年世界体操競技選手権に出場させた。この事実は2002年に彼女自身が告白するまで明るみに出なかった。彼女は当時13歳であったがパスポートには15歳と記載された[4][5][6]。この大会で彼女は平均台で10点満点を出して前年のオリンピックチャンピオン、エカテリーナ・サボーを破り金メダルを獲得した。

1986年の体操競技ワールドカップではソ連のエレーナ・シュシュノワに次いで2位となりルーマニア代表チームのリーダーとなった。

ロッテルダムで行われた1987年世界体操競技選手権団体では同僚のアウレリア・ドブレらとともにエレーナ・シュシュノワらを中心とする宿敵ソビエトを破り、1979年大会以来となる優勝を成し遂げた。個人総合ではアウレリア・ドブレとエレーナ・シュシュノワに敗れて銅メダルとなったが段違い平行棒とゆかでは金メダルを獲得した[7]

翌1988年のソウルオリンピックでは個人総合はドブレ、シリバシュ、シュシュノワ、スベトラーナ・バイトワによる争いになると注目された[8]。団体ではルーマニアはソ連に次ぐ銀メダルとなり、個人総合を迎えた。彼女とシュシュノワは激しい争いを見せ、ゆかでは共に10点満点、シュシュノワは跳馬で10点満点、一方彼女は段違い平行棒で10点満点を獲得した。最終競技を前に彼女がリードしたが最後の跳馬で9.950点となり0.025点差の僅差で敗れ銀メダルに終わった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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