ダドリー・ムーア
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ダドリー・ムーア
Dudley Moore

生年月日 (1935-04-19) 1935年4月19日
没年月日 (2002-03-27) 2002年3月27日(66歳没)
出生地ロンドンダゲナム
身長159cm
職業俳優コメディアンミュージシャン
ジャンル映画
活動期間1960年代 - 1990年代
配偶者スージー・ケンドール(1968年-1972年)
チューズデイ・ウェルド(1975年-1980年)
ブローガン・レイン(1988年-1991年)
ニコール・ロスチャイルド(1994年-1998年)
主な作品
ミスター・アーサー

 受賞
アカデミー賞
主演男優賞ノミネート
1981年『ミスター・アーサー』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)
1982年『ミスター・アーサー』
1985年『Micki + Maude』
その他の賞

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ダドリー・ステュアート・ジョン・ムーア(Dudley Stuart John Moore, CBE, 1935年4月19日 - 2002年3月27日)は、イギリス俳優コメディアンミュージシャンである。アカデミー賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。

ムーアの名が世に知られたのは、1960年代初期に『Beyond the Fringe』の4人の脚本兼出演者のうちの一人としてであった。それからさらにピーター・クックと結成していた二人組の一方として徐々に有名になった。喜劇俳優として非常に有名になったのは、ボー・デレクと組んだ『テン』や、『ミスター・アーサー』といった1970年代後半から1980年代前半にかけてのハリウッド映画での成功のおかげであった。

カドリー・ダドリー (Cuddly Dudley) としてもよく知られている。
経歴
若年期

ムーアはイギリスのエセックス州ダゲナムで鉄道電気技師の息子として生まれた。労働者階級に属する両親は、子供たちにあまり愛情を示さなかった(そのことについては彼の姉が公表している)。5フィート2インチ半(1.59メートル)と目立って背が低かった。また生まれつきの内反足のために長期の加療を必要とした。そのことと背が低いこととを合わせて、他の子供たちにからかわれた。いじめられる辛さから逃れるため、6歳のときコーラス隊に入り、ピアノバイオリンを始めた。ピアノとオルガンの腕はめきめきと上達し、14歳のときには教会の結婚式でパイプオルガンを演奏していた。また、親切な教師ピーター・コークが音楽奨学金を提供してくれたおかげでダゲナム郡立高校に通うことができた。コークはムーアにとって無二の親友となり、1994年まで交際があった。

オクスフォード大学モードリン校で音楽と作曲を学び(オルガン専攻であった)、オクスフォード・レビューにおいてアラン・ベネットと共演した。このときベネットはムーアを『Beyond the Fringe』のプロデューサーに推薦したが、このコメディは多くの人から『空飛ぶモンティ・パイソン』の先駆けとなった作品と見られている。『Beyond the Fringe』は1960年代の風刺ブームの嚆矢であった。イギリスで大ヒットした後、舞台をアメリカに移し、そこでもまたヒットした。

大学時代、ムーアはジャズに強く興味を持つようになり、すぐに名ジャズピアニスト、作曲家となり、ジョン・ダンクワースやクレオ・レインといった一線のミュージシャンたちとともに活動した。1960年にはダンクワースのバンドを『Beyond the Fringe』に参加させた。その後、高く評価されることになる「ダドリー・ムーア・トリオ」(ドラムはクリス・カラン、ベースはピート・マガーク後にピーター・モーガン)を1960年代に結成した。1963年にはDeccaレーベルより、トリオによる『The Other Side of Dudley Moore』を発表。これは「My Blue Heaven」、「Lysie Does It」、「Poova Nova」、「Take Your Time」、「Indiana」、「Sooz Blooz」、「Bauble, Bangles and Beads」、「Sad One for George」、「Autumn Leaves」という曲を含んだモノラルのLP盤であった。トリオはイギリスのテレビに定期的に出演し、また数多くのレコーディングを行って、ピーター・クックのクラブ「The Establishment」にも長期間出演していた。

ムーアは映画『悪いことしましョ!』、『Inadmissible Evidence』、『ふたりは恋人』、『オータム・ストーリー』のサウンドトラックの製作に関わった。

1970年代前半には、パーティで知り合ったイギリス人シンガーソングライターリンジー・ディ・ポールと短い間付き合いがあった。
ピート・アンド・ダド

「The Establishment」の後、ニューヨークに渡り、イギリスに帰国後、BBCで独自のシリーズ番組のオファーを受けた。『Not Only... But Also』(1965年)の枠がムーアに任されたが、ピーター・クックをゲストに招いたときから、2人のコンビに注目が集まり、番組内の定番となった。クックとムーアといえば、何といっても、2人の労働者を描いた「ピート・アンド・ダド(Pete and Dud)」が思い浮かぶ。レインコートに布帽子といういでたちで政治や芸術を語るのである。たいてい、クック演じる上流階級の変人にインタビューする役をムーアが演じるという、1回限りのキャラクターのシリーズものを作り上げた。二人は素材を脚本化するのに変則的な方法を編み出したが、その方法とはテープレコーダーを使って適当にアドリブを演じたものを録音し、そこから起こしたり編集したりするのである。この方法では出来上がった脚本を十分にリハーサルする時間がないため、カンペをよく使っていた。ムーアの死体役が有名で、番組はそのまま続行し、クックがムーアにスタジオの観客より大きいリアクションをさせようとでもするかのようにわざと笑わせるのであった。


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