ニューヨーク州ダッチェス郡
郡のニューヨーク州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1683年
郡庁所在地ポキプシー
ダッチェス郡(英: Dutchess County)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州にある郡である。人口は29万5911人(2020年)[1]。郡庁所在地はポキプシー市である。
ダッチェス郡はポキプシー・ニューバーグ・ミドルタウン都市圏に属し、さらに大きくニュージャージー州、コネチカット州とペンシルベニア州にも跨るニューヨーク・ニューアーク・ブリッジポート広域都市圏にも入っている。
歴史現在のダッチェス郡庁舎、1903年に建設され、当初1720年に建設されたものと同じ場所に立っている
ダッチェス郡となった地域にイギリスやオランダの開拓地ができる前は、ワッピンガー族インディアンの中心地だった。現在のフィッシュキルフックで会議を行っており、ダンスカマーでも集会を開いていた[2]。
1683年、ニューヨーク植民地で最初の12郡を設立した時に、ダッチェス郡もその中に入っていた。当時の境界には現在のパットナム郡の全体と、コロンビア郡の小部分(クラーモント町とジャーマンタウン町)も含まれていた。郡名はヨーク公妃メアリー・オブ・モデナ(公妃は英語で「ダッチェス」)に因んで名づけられた。
ダッチェス郡は1713年までアルスター郡が管理していた。
1812年、ダッチェス郡からパットナム郡が分離設立された。 1865年から1697年の12年間で、当初の郡におけるハドソン川岸の土地全てについて、その購入者の合法的な土地特許が認められた。1706年までにさらに3件の特許が追加され、内陸部の土地が抑えられた。 1683年から1715年、ダッチェス郡の開拓者の大半がオランダ人だった。その多くはオールバニ郡やアルスター郡から移って来ていた。フィッシュキル川沿いと現在のポキプシー市やラインベックとなった地域に入植した[3]。 1715年から1730年、新しい入植者の大半はドイツ人だった。1730年から1775年までは、ニューイングランド地方から移ってきた者が多かった[4]。 フランクリン・ルーズベルトがハドソン川を見下ろすハイドパークにあった家族の家に住んでいた。その邸宅は現在フランクリン・ルーズベルト邸国立歴史史跡として、アメリカ合衆国国立公園局が管理している。 1960年代、ジョージ・ゴードン・リディはダッチェス郡地区検事補であり、ティモシー・リアリーを薬物使用容疑で何度も逮捕させようとした。リディはリチャード・ニクソン政権のウォーターゲート事件で逮捕され服役した。1980年代には、この2人の元犯罪者が共に講演ツアーを行った。 1960年代以前のダッチェス郡は主に農業社会だった。その後郡南部はほとんど住宅地域に変わり、ニューヨーク市で働く通勤者が住む郊外になった。現在でも郡の北部と東部は農地の多い田園的性格であるが、同時に開発された地域もある[5]。 ダッチェス郡はニューヨーク州南東部にあり、西のハドソン川と東のニューヨーク州・コネチカット州境に挟まれ、オールバニ市とニューヨーク市のほぼ中間に位置している。郡内にはビーコン市とポキプシー市の2市がある。
土地特許
初期の開拓
20世紀
地理
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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