ダッジ・チャージャー
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チャージャー (Charger) はステランティス一部門である「ダッジ」が販売している自動車。いわゆるマッスルカーの1つである(一般的な乗用車にスポーツカー風のボディを架装したスペシャルティカーとする場合もある)。1966年に初代モデルが登場し、2007年6月30日から2010年5月31日まで日本市場でも発売されていた。
概要

ダッジ・チャージャー

概要
販売期間1966 - 1978年
1982 - 1987年
2005年 -
ボディ
乗車定員4名 (2代目まで)
5名 (3代目以降)
ボディタイプ2ドアハードトップ (初代)
3ドアハッチバック (2代目)
5ドアセダン (3代目以降)
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動 (2代目を除く)
前輪駆動 (2代目のみ)
四輪駆動 (3代目以降)
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1960年代初頭、アメリカの自動車業界は空前のマッスルカーブームに沸いていた。ゼネラルモーターズポンティアックオールズモビルから、フォード・モーターマーキュリーからそれぞれリリースしたこれらのマッスルカーは売れに売れ、各社の売り上げに多大な貢献を果たしていた。

しかしダッジ・ダートで先鞭を切ってマッスルカーの火付け役となっていたはずのクライスラーは、これら後続して発表されたモデルに対抗しうるモデルをラインナップしておらず、完全に後塵を拝する形となってしまっていた。

チャージャーは当時大人気を博していたこれらのマッスルカーに対抗するために、クライスラーのマッスルカーの象徴として企画された。1965年型 ダッジ・チャージャーU・コンセプトカー

まず1964年、オートショーにてチャージャーのコンセプトカーが登場した。このコンセプトカーはBプラットフォーム(インターミディエイト)を使用したダッジ・ポラーラがベースであり、それをロードスタースタイルにしたものであった。翌1965年には市販モデルに近い状態にブラッシュアップされた「チャージャーII」を発表する。

これらのコンセプトカーを経た後、ダッジ販売店側からの要望を調整し、チャージャーは1966年に発売された。販売後そのパワーが市場に受け、大ヒットを果たす。だが1970年代に入るとオイルショックの影響を受け大幅なパワーダウンを果たし、その際モデルが2系統に分離する。その後何度もボディデザインの変更が行われ、デビュー当初から大幅にスタイルが変わっていった。ダッジ・チャージャーR/T CNG車コンセプト

1980年代には2代目がデビューするが、初代とはうって変わってFFベースのサブコンパクトであるダッジ・オムニの上級グレードとして設定され、かつて隆盛を誇ったマッスルカーのイメージは無くなる。その後1987年に生産を終了、しばらくチャージャーの名は表舞台から姿を消すこととなる。

しかし1999年に突如コンセプトモデルとして復活、2000年のシドニーモーターショーなどで公開されてしばらくして、2005年から4ドアセダンとなり市販されるに至った。
初代(B-Body 時代 / 1966-1978年)

ダッジ・チャージャー(第一世代)
1969年式 (フロント)
Dodge Charger Daytona
1969年式 (リア)
概要
製造国 アメリカ合衆国
販売期間1966年?1978年
ボディ
乗車定員4名
ボディタイプ2ドアハードトップ
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
プラットフォームクライスラー・Bプラットフォーム
パワートレイン
エンジン6.9L V型8気筒 OHV
最高出力431ps/5,000rpm
最大トルク67.7kg-m/4,000rpm
変速機3AT/3MT/4MT
サスペンション
ダブルウィッシュボーン式
リーフ式
車両寸法
ホイールベース2,972mm
全長5,155mm
全幅1,910mm
全高1,370mm
車両重量1,680kg
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1966年に登場。セダンのコロネットをベースに2ドアファストバックのボディを架装したものである。

全グレードでV型8気筒エンジンを搭載しており、最上級モデルには426Hemiエンジンを積むストリートバージョンが設定された。このモデルは400馬力を超えるパワーを持ち、停止状態から時速60マイル(約96km)まで6秒弱で加速するという、当時としては強烈なパワーを誇った。

1967年には排気量440cui(=7210cc)のマグナムV8エンジンを搭載するチャージャーR/Tが登場。独特な外装が与えられたモデルで、現在でもチャージャーの代名詞的存在として人気が高い。1971年にはスーパー・ビーのベース車がコロネットから本車に切り替えられた。

強力なエンジンを積んだチャージャーはレース関係者の目にも留まり、NASCARなどでの使用を意識したモデルチェンジがなされるようになる(当時、NASCARは本当の意味でストックカーレースであった)。特に1969年に登場したチャージャー500はレース指向が強く、これをベースにダッジ・チャージャー・デイトナ(及び兄弟車のプリマス・スーパーバード)が発売された。ボビー・アイザックが1970年のチャンピオンを獲得。これらのモデルがダッジにおいて現代まで受け継がれている「レースと市販車の距離が近い」というイメージを決定づけて行く。初代チャージャーはモデルチェンジを繰り返しながら1978年まで生産された。なお、この初代チャージャーはスティーブ・マックイーンが主演した1968年の映画『ブリット』にも登場、マックイーンが運転するマスタングGT390とカーチェイスを演じているほか、1979年のアメリカのTVシリーズ『爆発!デューク』では主人公の愛車「ゼネラル・リー」として登場、さらに2001年に公開された映画『ワイルド・スピード』では主人公の一人であるドミニク・トレットの愛車としても登場し、映画・TVでのカーチェイス場面で多く使用された。

モァパワーの象徴であったチャージャーであるが、それが続いたのも1960年代までで、1970年代に入ると排気ガス規制(マスキー法)とオイルショックによる影響で、チャージャーは1972年から1975年にかけて大幅なパワーダウンを余儀なくされた。

かつては400馬力を誇ったパワーは140馬力へと大幅にパワーダウンされ、ボディーデザインもそれにあわせて段階的に変更された。

さらに1975年からはチャージャーはベーシック系「チャージャー」や「チャージャー・スポーツ」とラグジュアリー系「チャージャー・SE」が完全に差別化されたことにより、同名車種を冠しながら2種類のモデルへと分かれる。ベーシック系のチャージャー、チャージャー・スポーツは姉妹車であるダッジ・コロネットとほぼ同一デザインとなり、エンブレムなどが違う程度のものであった(コロネットは1971年から4ドアのみの販売であったが1975年に2ドアが復活している)。一方、ラグジュアリー系のチャージャー・SEは、それまでがチャージャーの通常モデルに豪華装備を増やしただけであったのに対し、1975年からは同一プラットフォームではあるがデザインは全く異なり、さながら別の車のようであった。ただ、チャージャー・SEは同じくして姉妹車として同時に販売開始されたクライスラー・コルドバと姉妹車の関係にあった。

1976年、オイルショックからの一時的な抜け出しが果たされ、クライスラー・プリマス・ダッジの大型車販売が伸びたため、ベーシックなチャージャー/チャージャースポーツの販売は終了する。これらの後継車は、新しく開発されたMプラットフォームを使用したダッジ・ディプロマットとなった。

ベーシックモデルが生産終了となった後もチャージャーSEは生産を継続し、1977年にはチャージャーSEをベースにダッジ・チャージャー・デイトナの名前が復活する。チャージャー・デイトナの名前は1969年以来であった。オイルショックはの影響からは脱却しつつあったものの、再来を恐れたためかつてのチャージャー・デイトナのようにロングノーズ、ビッグウィング、ハイパフォーマンスV8などは使われなかった。ボディーには大きなストライプが飾られ、サイドに「Charger Daytona」の文字が飾られた。

1978年、チャージャーSEは生産終了する。チャージャーSEの後継モデルは、同じB-Bodyを使用したダッジ・マグナムであった。

なお、1970年から1981年まで、ダートのスペシャル・オプション・パッケージのハードトップ版が、チャージャーの名でブラジルの現地法人で生産されていたことがあった。

また、1970年代のチャージャーの生産台数はわずか5万台ほどと少ない。

そのためレストアするには交換用パーツが少なく、非常に困難な車の一つとなっている。

1967年型 チャージャー

1969年型 チャージャー R/T


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