ダスティン・ランス・ブラック
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ダスティン・ランス・ブラック
Dustin Lance Black

生年月日 (1974-06-10) 1974年6月10日(49歳)
出生地カリフォルニア州サクラメント
国籍 アメリカ合衆国
職業脚本家、映画監督、テレビプロデューサー

 受賞
アカデミー賞
脚本賞
2008年ミルク
その他の賞
平和映画賞
2009年『ミルク』

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ダスティン・ランス・ブラック(Dustin Lance Black、1974年6月10日 - )は、アメリカ合衆国脚本家映画監督テレビプロデューサーLGBT活動家。テレビドラマ『ビッグ・ラブ』で全米脚本家組合賞を2度受賞したほか、2008年の映画『ミルク』でアカデミー脚本賞を受賞している。
生い立ち

カリフォルニア州サクラメントに生まれ[1]テキサス州サンアントニオモルモン教末日聖徒イエス・キリスト教会)の家庭に育つ[2]。後に母親の再婚に伴ってカリフォルニア州サリナスに引っ越した[3][4]。父親はモルモン教の宣教師で、ブラックの母は彼に洗礼を受けた[3][5]

モルモン教文化と軍事基地に囲まれて育ったために、ブラックは自身のセクシュアリティに悩んだ。6、7歳で近所の少年に慕情を感じたときには、「自分は地獄に行くんだ。もしそれを認めてしまえば、ひどく傷つくことになるだろう」と自分に言い聞かせた。セクシュアリティに対する確信によりブラックは内気になり、自殺を考えることもあった。初めてゲイ(同性愛者)であるとカミングアウトをしたのは、大学4年のときだった[3]

ノース・サリナス高校に在学中、サリナスやモントレーでザ・ウェスターン・ステージの舞台に立った[3]カリフォルニア大学ロサンゼルス校の演劇映画テレビ学部に進み、舞台演出の訓練を受けながら俳優や照明の仕事を得た。1996年、優等賞を得て学部を卒業した[6]
キャリア2008年6月29日、集会でスピーチするブラック。

2000年、脚本と監督を務めた長編映画『The Journey of Jared Prince』と短編『Something Close to Heaven』を発表。ミュージカル『Bare』では舞台美術を務めた[7]。2001年にはブラック自身を含む6人のゲイ男性のネバダ州への旅とバーニング・マンでの体験を記録したドキュメンタリー『On the Bus』を監督した[2]。モルモン教徒として育ったことから、一夫多妻家庭を描いたHBOドラマ『ビッグ・ラブ』の脚本に参加した。シーズン1から3までに脚本を寄せ、シーズン2ではエグゼクティブ・ストーリー・エディター、シーズン3では共同プロデューサーを務めた[5][6]

ブラックがサンフランシスコを初めて訪れたのは1990年代初頭、AIDSがゲイ・コミュニティを壊滅させていた時代だった。「ハーヴィーの話は当時そこであったほとんど唯一の希望の持てる話だった」とブラックは後に語っている[8]。大学在学中にロブ・エプスタインのドキュメンタリー『ハーヴェイ・ミルク』を初めて鑑賞した[3]。ミルクの助手だったクリーヴ・ジョーンズ(英語版)、アン・クローネンバーグ(英語版)や元サンフランシスコ市長アート・アグノス(英語版)に会うなどして[8]、3年間に亘りハーヴィー・ミルクの人生を調べ、ミルクの人生を総括的に描いた長編映画用の脚本を書き下ろした[6]。脚本がジョーンズを通じてガス・ヴァン・サントの手に渡ると、ヴァン・サントは監督の契約を結んだ[8]。ブラックの旧友ダン・ジンクスが最初にプロデューサーに就いた[9]

AIDSアクティヴィストでリアリティ番組タレントのペドロ・ザモーラ(英語版)の人生を描いた『Pedro』は2008年のトロント国際映画祭で披露された。ジェニファー・コネリー主演の『What's Wrong with Virginia』はブラックが脚本と監督を務め、これも2010年のトロント国際映画祭で披露された。

2009年2月22日、ブラックは『ミルク』で第81回アカデミー賞脚本賞を受賞した。授賞式で彼は結婚の平等を求める運動への結束を象徴する白いリボンの結び目を着け[10]、スピーチで次のように述べた。

「私が13歳のとき、私の美しい母と私の父は、テキサス州サンアントニオの保守的なモルモン教の家庭からカリフォルニアに私を移した。それからハーヴィー・ミルクの物語を知った。それは私に希望をくれた。自分の人生を生きる希望、いつの日か自分が自分であることを公に自分の人生を生きて、ことによると恋に落ちていつか結婚できるかもしれないという希望をくれた。

自分らしくあってはならないという重圧があったときも常に私を私として愛してくれた、私の母に感謝したい。だがとりわけ、もしハーヴィーが30年前に私たちから奪われていなければ、彼は私に、今夜いる、教会や政治や家族に、美しく、価値のある創造された人間だということを教えてもらえなかったゲイやレズビアンの子供たちに、こう告げることを望むだろう。誰が何を言おうと関係なく、神は君たちを愛して下さる。そして、約束する、君たちはほどなく、この私たちの偉大な国家全土に亘って、平等の権利を得るだろう。ありがとう、そして神がハーヴィー・ミルクを与えて下さったことに感謝する。[11]

2009年10月11日、ブラックはワシントンD.C.で行われたLGBTの平等を求める行進に参加し、議会議事堂の前で推定20万人の聴衆に向けてスピーチを行った[12]

2010年には、同性結婚を禁止するカリフォルニア州憲法改正案 (提案8号(英語版)) への末日聖徒イエス・キリスト教会 (モルモン教会) の関与を描いたドキュメンタリー『8: The Mormon Proposition』のナレーションを務めた。


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