ダシール・ハメット
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ダシール・ハメット
Dashiell Hammett
誕生Samuel Dashiell Hammett
(1894-05-27) 1894年5月27日
アメリカ合衆国 メリーランド州セントメリー郡
死没 (1961-01-10) 1961年1月10日(66歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
職業小説家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1922年 – 1951年
ジャンルハードボイルド探偵小説
影響を与えたもの

レイモンド・チャンドラーポール・オースター

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サミュエル・ダシール・ハメット(Samuel Dashiell Hammett [?da?i?l / ?da??l / da??i?l ?ham?t][1][2][3][4]1894年5月27日 - 1961年1月10日) は、アメリカのミステリ作家。推理小説の世界にいわゆるハードボイルドスタイルを確立した代表的な人物である。代表作は『血の収穫』『マルタの鷹』。サム・スペードコンチネンタル・オプなどの探偵を創造した。

ハメットは最高の推理作家の1人とされており[5]、『ニューヨーク・タイムズ』の死亡記事では「ハードボイルド派探偵小説界の長老」と評され[6]、『タイム』誌では1923年から2005年までの英語の小説ベスト100に『血の収穫』を選んでいる[7]

国際推理作家協会はハメットの業績を称え、ダシール・ハメット国際推理小説賞を制定し、スペイン語で書かれた最も優れた推理小説の表彰を行っている。また、同協会の北米支部は独自に「ハメット賞(The Hammett Prize)」を制定し、1992年より毎年、アメリカもしくはカナダ人作家を対象としてノミネートされた作品から最優秀1作を選定している。ほかに、北欧支部のスカンジナヴィア推理作家協会でも、ハメットの作品タイトルにちなんだガラスの鍵賞を制定し、北欧の最優秀作品を毎年選定している。
生い立ち

メリーランド州セントメリー郡にあった Hopewell and Aim という農場で生まれる[8]。父はリチャード・トーマス・ハメット、母はアン・ボンド・ダシールである。母はメリーランドの旧家出身で、フランスの姓である de Chiel を英語化した姓を名乗っていた。ハメットは洗礼を受けてカトリック教徒となり[9]フィラデルフィアボルチモアで育った。通称はサム (Sam) で、13歳で学校を離れていくつかの職を転々とし、アメリカ屈指の探偵会社であるピンカートン探偵社にたどり着いた。1915年から1922年2月までピンカートンで探偵として働いたが、一時期第一次世界大戦で休職している。ピンカートン探偵社はこのころ「スト破り」を請け負っており、そのことで探偵という職業に抱いていた幻想を捨てることになった[10]

1918年にはアメリカ陸軍に所属しており、衛生隊で働いた。しかしスペインかぜに罹り、結核を患うことになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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