ダグ・デシンセイ
Doug DeCincesカリフォルニア・エンゼルス時代
(1986年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク
生年月日 (1950-08-29) 1950年8月29日(73歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手
プロ入り1970年 MLBドラフト3巡目
初出場MLB / 1973年9月9日
NPB / 1988年4月8日
最終出場MLB / 1987年10月4日
NPB / 1988年8月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ボルチモア・オリオールズ (1973 - 1981)
カリフォルニア・エンゼルス (1982 - 1987)
セントルイス・カージナルス (1987)
ヤクルトスワローズ (1988)
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ダグラス・バーノン・デシンセイ(Douglas Vernon DeCinces, 1950年8月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク出身の元プロ野球選手(内野手)。 1970年のMLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。 1973年9月9日の対クリーブランド・インディアンス戦(クリーブランド・スタジアム)の7回表にブルックス・ロビンソンの代走として出場しメジャーデビューを果たす。 1979年にはワールドシリーズに出場し、第1戦で本塁打を放つ。 1982年にカリフォルニア・エンゼルスにトレードで移籍。同年は打率.301、30本塁打、97打点と活躍し、シルバースラッガー賞を獲得。8月3日のミネソタ・ツインズ戦では、1回裏の打席で2球目を本塁打、3回裏と5回裏にはいずれも初球を本塁打し、3球連続本塁打を記録している(投手はすべてブラッド・ヘイブンズ)[1]。 1983年にはMLBオールスターゲームに出場した。 1987年にジャック・ハウエルに三塁の定位置を奪われるまでエンゼルスの正三塁手として活躍した。シーズン途中の9月にFAとなり、シーズン残り7試合でセントルイス・カージナルスと契約。地区優勝を争っていたカージナルスはジャック・クラークの故障で4番打者不在となり、急遽獲得した。チームは地区優勝を果たしたが、プレーオフ出場資格がなかった(プレーオフに出場するためには8月31日までに契約し、チームに帯同していなくてはならない)。 1988年1月20日にNPBのヤクルトスワローズへの入団が発表された[2]。
経歴