ダウン・トゥー・ゼン・レフト
[Wikipedia|▼Menu]

『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』
ボズ・スキャッグススタジオ・アルバム
リリース1977年11月
録音ハリウッド・サウンド・レコーダーズ[1]
ジャンルソフトロックブルー・アイド・ソウルアダルト・コンテンポラリー
時間43分05秒
レーベルコロムビア・レコード
プロデュースジョー・ウィザート
専門評論家によるレビュー


AllMusic link

チャート最高順位

2位(ニュージーランド[2]

11位(アメリカ[3]

12位(日本[4]

19位(オランダ[5]

55位(イギリス[6]

ボズ・スキャッグス アルバム 年表

シルク・ディグリーズ
(1976年)ダウン・トゥー・ゼン・レフト
(1977年)ミドル・マン
(1980年)

テンプレートを表示

『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』(Down Two Then Left)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ボズ・スキャッグス1977年に発表したスタジオ・アルバム
背景

半数の曲でマイケル・オマーティアンがソングライティングのパートナーに起用され、オマーティアンは演奏やアレンジにも貢献した[1]

後にTOTOで活動するスティーヴ・ルカサーが、スタジオ・ミュージシャンとして頭角を現した最初期の作品として知られ[7]、また、前作『シルク・ディグリーズ』(1976年)に引き続き、やはりTOTOのメンバーとして知られるジェフ・ポーカロデヴィッド・ハンゲイトもレコーディングに参加した。「ハード・タイムス」と「ホワッチャ・ゴナ・テル・ユア・マン」では、スキャッグス自身がギター・ソロを弾いている[1]
反響・評価

アメリカでは1979年1月14日付のBillboard 200で11位に達し、自身2作目の全米トップ20アルバムとなった[3]

ニュージーランドのアルバム・チャートでは22週連続でトップ40入り(うち17週トップ10入り)し、最高2位を記録した[2]。日本では前作『シルク・ディグリーズ』以上のヒット作となり、1977年12月5日に発売された日本初回盤LP (25AP-800)の売り上げは7万枚を超え、オリコンLPチャートでは28週トップ100入りして最高12位を記録した[4]。イギリスでは1977年12月17日付の全英アルバムチャートで55位となり、自身2作目の全英トップ100入りを果たすが、翌週にはチャート圏外に消えた[6]

本作からは「ハード・タイムス」(全米58位[8])、「ハリウッド」(全米49位[9]・全英33位[10]・ニュージーランド7位[2])がシングル・ヒットした。

Jason Eliasはオールミュージックにおいて5点満点中3点を付け「全体的には『シルク・ディグリーズ』以上にソウルフルだが、前作のWhat Can I Sayに匹敵するような際立った曲はない」と評している[11]
収録曲

特記なき楽曲はボズ・スキャッグスとマイケル・オマーティアンの共作。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef