ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
[Wikipedia|▼Menu]

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
別名ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド
出身地
日本
ジャンルロックロカビリー
活動期間1973年 - 1981年
レーベル東芝音楽工業→東芝EMI / EXPRESS
EPIC・ソニー / BOOGIE - WOOGIE
共同作業者阿木燿子
鬼太鼓座

メンバー宇崎竜童ボーカルトランペットギター
新井武士(ベース・ボーカル
和田静男(ギター・ボーカル)
千野秀一キーボード
浅岡タカシ(ドラムス

旧メンバー蜂谷吉泰(ギター)
福原昭一(ドラムス)
相原誠(ドラムス)
鈴木洋行(ドラムス)
坂庭泰三(ドラムス)

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(DOWN TOWN BOOGIE WOOGIE BAND)は、日本ロックバンド。「DTBWB」と略記されることもある。

1973年に宇崎竜童を中心に結成され同年12月にメジャー・デビュー。1980年にダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドと改名する。1981年12月31日に解散。"日本語ロック"の起点となったキャロルの後をうけ[1]、日本語ロックブームを決定付けたバンドである[1]
経歴

1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めてバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。

トレードマークだったユニフォームツナギは、初期メンバーだった相原誠がキャロル脱退後に半年間アルバイトしていた運送屋で着ていた作業服から発案[1]。メンバー全員で着用し、湘南海の家でのライブで披露したところ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドというバンド名や音楽性ともしっくりし、お客に大ウケ[1]。以降、公式なユニフォームとなった[1]

1973年12月に東芝のEXPRESSレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でメジャー・デビュー

1974年12月に「スモーキン・ブギ」、1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発売。基本的にブルースを基調としたロックサウンドを展開するバンドだったが、流行語化した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」内のフレーズ「アンタあの娘の何なのさ」に見られるようなコミカルな部分が注目され[1]、人気バンドとなる。

1975年末には第26回NHK紅白歌合戦に出場し、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を演奏[1]。紅白歌合戦の歴史を塗り替える初のロックバンド出演という快挙だったが[1]、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の印象が強すぎ[1]コミックバンドのようなイメージが定着してしまった[1]。その後もヒット作を多く発表したが、1970年代末にロック路線を望むバンドとコミカル路線を望むレコード会社の間に大きな溝が出来た[1]

また、宇崎竜童は山口百恵の中期から後期にかけて作曲家として音楽制作に大きく関わっており、1980年の引退まで山口百恵を支えた。宇崎竜童並びに阿木燿子の山口百恵プロジェクトへの起用のきっかけについて、当時山口百恵を担当していたホリプロの川瀬泰雄は「僕と金塚さんは、いい曲を書く作家やシンガーソングライターを常に探していて、実現はしませんでしたけど、矢沢永吉さんや中島みゆきさんにもお願いしたいと考えていました。若手の作家なら、まずアルバム用に書いてもらって、様子を見るというのが1つのパターンになっていましたね。宇崎さんもその一人でした。「港のヨーコ?」が大ヒットして、機会があればお願いしようかなと思っていたら、ある番組で宇崎さんと共演した百恵の口から宇崎さんの名前がでたので、本人がそう言うんだったら、こちらも望むところだと。酒井政利さんも「面白いんじゃないか」という反応だったので、まずアルバム用につくってもらったんです。そのうちの1曲が「横須賀ストーリー」(76年6月/作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄)です。宇崎さんの曲はもちろんですが、阿木さんの詞も素晴らしかったんですよね。宇崎さんに依頼したとき、僕はまだ阿木さんのことをよく知らなかったんですけど、リアルな描写と、イメージが画として見えてくる感性の鋭さに驚いて「この人は天才だ」と思いました。百恵も「やっと私の詞ができた」と言っていましたが、だからこそ詞の表現にも説得力が生まれたんでしょう。」と語っている。

宇崎竜童は山口百恵の作品を「横須賀ストーリー」?「さよならの向う側」まで制作した。

「港のヨーコ」のイメージから脱却するため、1979年12月31日の「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL'79-'80」(浅草国際劇場)を最後に、過去の楽曲を「封印」。1980年にダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドに改名し、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド時代の楽曲は演奏せず、トレードマークだったツナギを着るのも止め、シリアスなブルースとロックを追求する。NHK大河ドラマ「獅子の時代」のメインテーマ「OUR HISTORY AGAIN」の製作を最後に東芝から離れる。翌1981年にEPIC・ソニーと契約、「ブギウギレーベル」を立ち上げるが、ソロ活動期間を経て同年12月31日、ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL'81-'82」(浅草国際劇場)を最後に解体(解散)した。

その後、1987年12月にダウン・タウン・ブギウギ・バンド・リバイバルとして1ヶ月限定のライブ、2002年8月にシークレットライブ、2003年6月に相原誠プロデュースによるイベント“dmx in YAON ”でライブ、2007年11月には宇崎竜童のライブにスペシャルゲストとしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドが登場と、度々再結成している。
バンド名の由来

宇崎がこのバンドを結成するまでにやってきた音楽や親しんできた音楽のリズムがエイトビートどまりだったこと、そしてエイトビートの極致はブギウギだと確信していたことから「ブギウギ」、また自分はどう見ても山の手のおぼっちゃんという柄ではないことから「ダウンタウン」、これらを合わせてダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名された[2]
メンバー

宇崎竜童:ボーカル、トランペット、サイドギター (1973年 - 1981年)、京都府出身[3]

新井武士:ベース、ボーカル (1973年 - 1981年)[4]東京都出身[3]

和田静男:リードギター、ボーカル (1974年 - 1981年)、静岡県出身[3]

千野秀一:キーボード (1976年 - 1981年)、東京都出身[3]

浅岡タカシ:ドラムス (1979年 - 1981年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef