ダウニー_(カリフォルニア州)
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ダウニー
City of Downey


旗章

位置

カリフォルニア州におけるロサンゼルス郡(左図)およびダウニーの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度56分17秒 西経118度07分51秒 / 北緯33.93806度 西経118.13083度 / 33.93806; -118.13083
歴史
市1956年12月17日
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
 ロサンゼルス郡
ダウニー
City of Downey
市長アン・M・ベイアー
地理
面積 
  域32.6 km2 (12.6 mi2)
    陸上  32.2 km2 (12.4 mi2)
    水面  0.4 km2 (0.2 mi2)
      水面面積比率    1.35%
標高36 m (118 ft)
人口
人口(2010年現在)
  域111,772人
    人口密度  3400人/km2(8900人/mi2)
その他
等時帯太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : ⇒City of Downey

ダウニー(: Downey)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡南東部に位置する都市である。ロサンゼルス市中心街から南東に13マイル (21 km) にある。2000年国勢調査では人口107,323人だったが2010年では111,772人と4.1%増加した[1]目次

1 歴史

2 地理

3 人口動態

3.1 収入


4 政府とインフラ

5 経済

6 ランドマーク

7 犯罪

8 交通

9 教育

9.1 初等・中等教育

9.2 公共図書館


10 著名な出身者と住人

11 脚注

12 外部リンク

歴史

アルタ・カリフォルニアスペイン人が到着する以前、ダウニーとなった地域にはトングバ族インディアンが住んでおり、スペイン人は彼等のことをガブリエリーノと呼ぶようになった。

スペイン植民地としての歴史は1771年に、カリフォルニア州の歴史史跡にもなっているサンガブリエル・アークエンジェル伝道所が設立されたのが始まりだった。この伝道所が設立された土地が今日のロサンゼルス地域の発祥地となっている。

1784年、スペイン総督ペドロ・ファヘスが元軍人のマヌエル・ニエト(1734年-1804年)に土地を特許した。この土地はスペインがカリフォルニアを支配していた時代では最大の土地特許によるものだった。広さ30万エーカー (1,200 km2) に及ぶこの土地は、東はサンタアナ川から西は昔のサンガブリエル川(現在はリオ・ホンドとロサンゼルス川)にまで、北はミッション・ハイウェイ(ほぼウィッティア・ブールバードに相当)から南は太平洋にまで拡がっていた。後にサンガブリエル伝道所の所有地との係争で幾らかは減らされた。スペインによる土地特許の中でカリフォルニアで認められた25か所は、後に権利が継承されなかったメキシコによる土地特許とは異なっていたが、スペイン王室による権利付与と共に放牧を行う許可に類似していた[2]

ニエトのランチョはその死とともに4人の子供達に渡され、1833年にニエトの承継者がメキシコの知事ホセ・フィゲロアに資産分割を請願するまでそのままだった。初めのランチョの北西部は現在のダウニーとノーウォークがある地域であり、ランチョ・サンダガートルードとして、マヌエル・ニエトの息子アントーニオ・ニエトの未亡人であるホセファ・コタに継承を認められた。ランチョ・サンダガートルードは広さ21,000エーカー (84 km2) あってこの時でも広大なものであり、ロサンゼルスのプエブロ(町)より東では社会生活の中心だったニエトの家産があった[3]

米墨戦争が終わった1848年、カリフォルニオのランチョの多くは、アメリカ合衆国のマニフェスト・デスティニー原理に従って西部に移住し、地位のあるスペイン系カリフォルニオの家庭と婚姻を結んだ裕福なイングランド系アメリカ人のものになっていった。

ダウニーの町は南北戦争時のカリフォルニア知事ジョン・G・ダウニーによって設立され命名された。知事のダウニーはリオ・ホンドとサンガブリエル川の間で購入した土地を分割した。1873年にサザン・パシフィック鉄道がこの地を通り、1940年頃まで地域の農夫は穀物、トウモロコシ、トウゴマおよび果実を育てていた。ダウニーの町は1935年には「オレンジ叢林の町」と表現されていた[4]

ダウニーは1956年に自治体化し、1964年には認可形態を採った。第二次世界大戦後は農地に代わって郊外住宅と工場が建っていった。最大雇用主は初めバルティ・エアクラフト、後にはノースアメリカン・アビエーション(後のノースアメリカン・ロックウェル、その後ロックウェル・インターナショナルボーイング社に買収された)となり、その施設はアポロ計画スペースシャトルに使われたシステムを生産した。ダウニーで続いた70年間の航空宇宙産業は1999年にロックウェルの工場が閉鎖されたときに終焉を迎えた。ロックウェルの元工場はダウニー・ランディングのショッピング用施設、カイザーパーマネンテの病院、公園、宇宙博物館およびダウニー・スタジオに転換された[5]

ダウニー市の中心近く、レイクウッド・ブールバード(州道19号線)とファイアストーン・ブールバード(元州道42号線)の交差点はかつて世界でも最大級に繁華な交差点だった。州道19号線はパサデナ市ロングビーチの港を繋ぐ幹線道であり、州道42号線はロサンゼルス市とサンディエゴ市を結ぶ昔のスペイン・トレイル・システムの一部だった。

1960年代、町のダウニー・レコードが「ザ・シャンティズ」のサーフィン曲『パイプライン』を録音したことで小さな悪評を蒙った。町の主要公立高校2校がダウニー知事とアール・ウォーレン知事(その後最高裁長官)に因む校名を採用した。

市内にはロサンゼルス郡でも主要な公立リハビリテーション病院であるランチョ・ロス・アミーゴス・ナショナル・リハビリテーション・センターがある。脊髄損傷ポリオ後症候群の治療に果たした革新的な功績で世界に知られる病院である。

2008年のアクションコメディ映画『スモーキング・ハイ』にはダウニーが登場した。


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