ダイアン
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この項目では、日本のお笑いコンビについて説明しています。その他の用法については「ダイアン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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ダイアン
メンバーユースケ
津田篤宏
結成年2000年[1]
事務所吉本興業
活動時期2000年 -
出身NSC大阪校22期[1]
現在の活動状況テレビ・ライブ中心
芸種漫才コント
ネタ作成者ユースケ[2]
現在の代表番組テレビ
本日はダイアンなり!
ダイアンのガチで!ごめんやすラジオ
ダイアンのラジオさん
過去の代表番組よなよな…(月曜日担当)
同期久保田かずのぶ(とろサーモン
林健ギャロップ
スーパーマラドーナ
中山功太
南海キャンディーズなど
受賞歴
2002年 第3回笑わん会 最優秀賞
2006年 第35回上方お笑い大賞 新人賞
2009年 第44回上方漫才大賞 新人賞
2014年 第49回上方漫才大賞 奨励賞
2018年 第53回上方漫才大賞 大賞
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ダイアン公式チャンネル
YouTube
チャンネル

ダイアン公式チャンネル

活動期間2020年 -
ジャンルコメディ
登録者数35.1万人
総再生回数9496万回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2020

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-02-18-00002024年2月18日時点。
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ダイアンは、吉本興業東京本部(東京吉本)に所属するユースケと津田篤宏からなる日本お笑いコンビ。2000年4月結成、NSC大阪校22期出身[3]。大阪を拠点に活動していたが、2018年4月より東京に活動拠点を移す。M-1グランプリ2007・2008、THE MANZAI 2014ファイナリスト。
メンバー
ユースケ(
1977年(昭和52年)3月14日[1] - )(47歳)
ボケ・ネタ作り担当。旧芸名及び本名は西澤 裕介(にしざわ ゆうすけ)[4]滋賀県愛知郡愛知川町(現:愛荘町愛知川出身[1][5]。身長170 cm、体重82 kg血液型A型[1]。2019年4月18日、トークライブ『ダイアンの新ネタ&トークライブ トークのダイちゃん』にて自身の芸名を本名から「ユースケ」への改名を発表した。改名の理由はゲスト出演した『いろはに千鳥』(テレビ埼玉)の企画内で、占い師からの勧めによるもの[6]。当初は嫌だと感じていたが、徐々に違和感が無くなってきたという[7]。2021年6月7日、一般女性との結婚を発表[8][4]。2022年11月12日、左椎骨動脈解離と診断されたため当面休養することが発表された。同年12月20日、ルミネtheよしもとの劇場出番で仕事復帰[9][10]
津田 篤宏(つだ あつひろ、1976年(昭和51年)5月27日[1] - )(48歳)
ツッコミ担当。本名は石村 篤宏(いしむら あつひろ)[11]。滋賀県愛知郡愛知川町(現:愛荘町)長野出身[1][5]。身長165 cm、体重68 kg。血液型O型[1]。高校時代はフェンシング部所属で、県大会で個人優勝を果たした[12]。2006年6月に結婚。入婿となった[13]ため、芸名の津田は旧姓[11]加藤登紀子とは、遠戚ながら親戚同士。加藤の父の姓が津田で、直系とのこと[14]。津田の父方の祖父と加藤の父が従兄弟。代表ギャグは、凄いという意味の「ごいごいすー!」「スーを差し上げます」[15]。愛称は「ツダイアン」、「津田ちん」などがある。副業探偵真珠腫性中耳炎を患っており、治療のため2024年3月に人生初の入院・手術を行った。[16]
概要

共に滋賀県愛知郡愛知川町(現:愛荘町)出身で、中学校の同級生[17]

ユースケはザ・ドリフターズとんねるずなど小さい頃からお笑い好きで、高校時代はラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)を録音したテープを聴きながら通学していた[18]。短期大学卒業後はハウスマヌカンの職に就く[19]

一方で津田は専門学校卒業後、建材会社に就職するも、仕事へやりがいを見出せず不眠に悩まされた時期もあった[17]。仕事をやめて地元に戻りユースケと遊ぶようになった21歳の頃、コンビ結成を考えたという[20]:2。そこから1年間は、NSCの入学金を貯めるため契約社員として地元のホームセンターに就職[20]:2。

そして1999年、23歳時にどちらからということもなくやってみようと誘い、NSCに入学した[21]:2。コンビ結成は翌年の2000年4月[3]。コンビ名の由来は、2人の通っていた中学校の外国人英語教師の名前から[5]

この頃津田は働いていた警備会社のアルバイトの帰り道で死にかけたことがある。仕事が終わり全員で車に乗って高速道路を走っていた。トンネルの入り口で渋滞が発生していたが、ドライバーはおしゃべりに夢中で減速する気配をみせない。どう考えても追突すると考えた津田は「危ない!!!」と叫んだ。急ブレーキがかかったが、止まれず、反対車線に飛び出した。津田は本能的に死を覚悟し、小学校の頃運動場で走り回った事や家族旅行の思い出など走馬燈を見た。しかし、反対車線に車は走っておらず命拾いをした。津田は20年以上経ってもたまにこの出来事を就寝後などに思い出し、今でもあのドライバーぶん殴りたいと思うなど、トラウマになっている[22]

結成後は、「今宮戎神社マンザイ新人コンクール」の予選選考に落ち続け自信を失ったこともあった[21]:2。結成5年目には賞レースで結果が出ないことや周囲との仕事量の差から解散も過ったが、忘れてしまいそのまま有耶無耶となる[7]:2[23]:2。転機はM-1グランプリでの決勝進出[2]。その後マネージャーからの勧めもあり[7]、2018年4月に東京へ進出した[24]。2021年7月20日、出身地である滋賀県愛荘町ふるさと大使に就任[5]

2022年10月、ユースケがCMの撮影中に体調不良から緊急搬送され尿路結石と診断[25]、11月12日には左椎骨動脈解離と診断され1か月程度の安静が必要とされたことから、当面休養することが吉本興業公式サイト上で発表され[9]、2023年1月から療養復帰した。
芸風

主に漫才で、飄々とした雰囲気のボケと勢いのあるツッコミが持ち味[2]。津田はユースケの作るネタについて、独特ではあるがベースに安定したものがあると考えており[2]ネタ作りに口出しはしない[21]。お互いにアドバイスし合うこともないという[7]:2。

漫才をベースにしたコントも演じることがあり、キングオブコントでは準決勝進出経験がある。ユースケは「太秦役者・岸大介」というキャラクターを演じることもある[26]
賞レース成績・受賞歴など
M-1グランプリ

年結果エントリーNo.決勝戦キャッチコピー備考
2001年3回戦敗退77
[27]
2002年準決勝敗退
2003年準決勝敗退1882[28]
2004年準決勝敗退
2005年準決勝敗退
2006年準決勝敗退
2007年決勝7位[29]4207お笑い月見草
2008年決勝6位[29]4455
2009年準決勝敗退1度目のラストイヤー[注 1]
2015年準決勝敗退[30]1375[30]2度目のラストイヤー、予選10位、敗者復活戦8位

日清食品 THE MANZAI

年結果備考
2011年2回戦敗退
2012年2回戦敗退
2013年2回戦敗退
2014年決勝大会敗退本戦サーキット5位

その他

2002年 第3回笑わん会 最優秀賞

2006年 第35回
上方お笑い大賞 新人賞

2008年 キングオブコント 準決勝敗退

2009年 第44回上方漫才大賞 新人賞

2010年 キングオブコント 準決勝敗退

2014年 第49回上方漫才大賞 奨励賞

2018年 第53回上方漫才大賞 大賞

出囃子

10-FEET「FELLOWS2」
単独ライブ
2003年


02月02日 - 「ダイアンの大安吉日」(
baseよしもと/大阪)※初単独

03月03日 - 「ダイアンの大安吉日」(baseよしもと/大阪)

04月13日 - 「ダイアンの大安吉日」(baseよしもと/大阪)

05月08日 - 「ダイアンの大安吉日」(baseよしもと/大阪)

06月05日 - 「ダイアンの大安吉日(baseよしもと/大阪)

09月07日 - 「ダイアン単独ライブ LUCKY DAY」(baseよしもと/大阪)

11月14日 - 「フェンシングと地蔵」(baseよしもと/大阪)

2004年


01月09日 - 「愛知川ボール」(baseよしもと/大阪)

03月05日 - 「第一級河川 愛知川」(baseよしもと/大阪)

05月07日 - 「愛知川上流」(baseよしもと/大阪)

07月03日 - 「フェンシングと地蔵」(baseよしもと/大阪)


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