ダイアン・ソイヤー
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Diane Sawyer
2011トライベッカ映画祭「ジーザス・ヘンリー・クライスト」上映会において
生誕Lila Diane Sawyer
(1945-12-22) 1945年12月22日(78歳)
アメリカ合衆国ケンタッキー州グラスゴー
教育ウェルズリー大学
職業ジャーナリスト
活動期間1962年 -
肩書きABCワールド・ニュース アンカー
宗教ローマ・カトリック
配偶者マイク・ニコルズ (1988年 - 2014年)
公式サイト ⇒http://abcnews.go.com/WN/DianeSawyer/diane-sawyers-biography/story?id=9380180
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リラ・ダイアン・ソイヤー(Lila Diane Sawyer、1945年12月22日 - )は、アメリカ合衆国ジャーナリスト。2009年からABCニュースのメインニュース番組であるABCワールド・ニュースアンカーを務めた。
教育

ソイヤーはケンタッキー州のグラスゴーで小学校教師のジーン・W・ソイヤーと判事のエルボン・パワーズ・トム・ソイヤーの間に生まれた[1]。彼女が生まれてすぐに家族は同州のルイビルに移った。共和党員であった父はこの町において有力な政治家、コミュニティの指導者となったが、ジェファーソン郡の首長を務めていた1969年に自動車事故で死去した。ルイビルのフレイズ・ヒルにある公園は彼の名を記念し命名されている。

ソイヤーはルイビルのセネカ高校を卒業した。在学中は学内の新聞の主筆を務め、様々な芸術活動に取り組んだ。1963年にはケンタッキー州代表として美人コンテスト奨学金審査であるアメリカズ・ジュニア・ミスを獲得し、ニューヨーク世界博ではコカ・コーラのパヴィリオンでガイドを務めている。

マサチューセッツのウェルズリー大学で文学を専攻し1967年に卒業した。ここで彼女はアカペラグループに所属していた。ルイビル大学で1セメスターだけ法学を履修した後にジャーナリズムを志すようになった。
キャリア

短期間ルイビルの地方テレビ局に勤めた後、1970年にはリチャード・ニクソン政権下のホワイトハウス報道官であったロン・ジーグラーの元で働き始めた。ウォーターゲート事件によるニクソンの辞任後のジェラルド・R・フォード政権でも1975年まで働き、その後はニクソンの私的なアシスタントとして1978年に出版された回想録の執筆を手伝った。1977年にデイヴィッド・フロストにより行われた有名なニクソンのインタビューの準備にもかかわった[2]

ソイヤーはウォーターゲート事件の際にワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードに内部情報を漏えいし、大きな役割を果たしたディープ・スロートではないかと疑われたことがある。ニクソンと親しく最後まで彼を擁護していたラビのバラク・コルフは死の床でのインタビューでソイヤーを名指ししていた。2005年になってFBIの副長官であったマーク・フェルトが名乗り出るまで多くの関係者の名前が出たが、6人の他の「容疑者」と共にウッドワードから否定するコメントを得ている[3][4]

1978年にソイヤーはCBSニュースと契約した。政治担当記者として働いた後に1981年にビル・カーティスとともにCBSモーニングニュースのアンカーに起用された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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