ダイアモンド☆ユカイ
第36回東京国際映画祭にて(2023年10月23日)
基本情報
出生名田所 豊(たどころ ゆたか)
別名ユカイ
生誕 (1962-03-12) 1962年3月12日(62歳)
日本 東京都田無市(現:西東京市)
出身地 日本・東京都 (埼玉県さいたま市育ち)
学歴専修大学法学部中退
ジャンルロック
職業歌手
作詞家
作曲家
俳優
担当楽器ボーカル
ギター
活動期間1985年 - 1989年
(RED WARRIORS)
1990年 -
(ソロ他)
レーベル日本コロムビア
(1986年 - 1989年)
ポニーキャニオン
(1997年)
徳間ジャパンコミュニケーションズ
(1999年 - 2003年)
事務所サンミュージック・サウンドミッション
共同作業者RED WARRIORS
公式サイトダイアモンド☆ユカイ 公式ブログ
ユカイなサムシング
ミック・ジャガー
ダイアモンド☆ユカイ(1962年〈昭和37年〉3月12日[1] - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。
本名及び旧芸名は田所 豊(たどころ ゆたか)。東京都出身。埼玉県さいたま市在住。サンミュージック・サウンドミッション所属。 大宮市立大砂土中学校、専修大学附属高等学校を卒業、専修大学法学部を中退[3][4]。 芸名の由来は、ニックネームの「ユカイ」(愉快)。 「ダイアモンド」と「ユカイ」の間には当初は“☆”(スター)が入っていたが、「☆がついているアーティストが増えた」という理由で“?[注 1]”(六芒星)に変更した[5]。それ以前に表記をDIAMOND◇YUKAIとした時期もあった。 ランディ・ニューマン、ローリング・ストーンズや沢田研二、萩原健一ファンであることを公言。萩原が死去した際、自身のサイトで追悼コメントを発表[6]。 「スウィーツ研究会部長」「ソフトクリーム研究会会長」「全日本コーヒー豆惣菜(党総裁)」などを自称して、日々研究・探究に臨んでいる。 歴史好きであり「裏歴史んとん協会会長」を自称する[7]。自身のルーツを調べたところ、祖先は結城朝光(源頼朝に仕えた武将)であるといい[7][8]、朝光には頼朝の落胤説があることから、自身が「源頼朝の末裔」である可能性を話題として唱えている[7][8]。末裔であることについては「実際はどうなのかはわからないけど」としているものの[7]、源頼朝は大好きな人物であるといい[9]、子への命名に当たり頼朝にあやかって「頼」の字を付けている[7][9]。 既婚だが2021年3月の時点では別居中[10]。また自身の長女はアーティスティックスイミング選手でジュニア世代の日本代表選手として海外大会出場経歴がある[11]。 ハリウッド映画に出演した当時のカンヌ国際映画祭で、活躍する前のユマ・サーマンをナンパして食事に誘い、キース・ヘリングやカメラマンのボブ・グルーエン
人物
ミュージシャン、俳優、声優、ナレーター、テレビタレントなど幅広く活動している。
タレント活動として出演する場合、「とりあえず自分の年齢をネタにする」というパターンになることが非常に多く、定番ネタ化してきている。
実年齢よりも若く見られることが多く、自身もそのことを誇りに思っているようで、年齢を聞かれると「いくつにみえる?」など笑顔で応対することが多い。
また年齢のことを触れられなかった場合は、自ら生年月日などを晒してそちらに話題を持って行くという場合すらある。
2022年10月4日にキャシー中島が「徹子の部屋」にゲスト出演した際に自身の母とユカイの母が友人同士だった事をユカイが発言したと明かした。
略歴
1985年 - ロックバンドRED WARRIORS(レッド・ウォーリアーズ)を結成し、翌1986年10月にボーカルとしてデビュー。
1987年 - ハリウッド映画「TOKYO-POP」で俳優として活動を始め、カンヌ国際映画祭に出席。
1989年 - RED WARRIORS解散。
1990年 - 「I'M THE BEST -世界の女は俺のもの-」(MMG)でソロデビュー。日本武道館でソロデビューライブ開催。以後10年の間、多彩なゲスト・ミュージシャンを迎え「ユカイなクリスマス」ライブを毎年開催。
1996年 - RED WARRIORS再結成。1997年活動休止。
1997年
7月24日 - この日発売された『西城秀樹ROCKトリビュート』で「ブルースカイ ブルー」を歌唱。