ダイアナ・ロス
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ダイアナ・ロス
1976年
基本情報
出生名Diane Earle
生誕 (1944-03-26) 1944年3月26日(80歳)
出身地 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンルR&Bソウルポップディスコ
職業歌手音楽プロデューサー女優
活動期間1959年 - 現在
レーベルLu Pine Records、モータウンRCAレコード
共同作業者スプリームスマーヴィン・ゲイジャクソン5マイケル・ジャクソンライオネル・リッチーシックフリオ・イグレシアステンプテーションズ

ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、1944年3月26日 - )は、アメリカ合衆国のポップ・ソウルの女性歌手。
略歴
1959年 - 1969年、スプリームス

ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に、女性4人組のコーラス・グループ、プライメッツを結成。プライメッツは、1961年モータウンと契約、3人組となってザ・スプリームスとしてデビューした。

ダイアナは、ザ・スプリームスのリードシンガーとして「恋はあせらず[注 1]、「愛はどこへ行ったの」、「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」、「キープ・ミー・ハンギン・オン」、「ベイビー・ラブ、ラブ・チャイルド」[注 2]など、数々のヒット曲を放ち、スターの仲間入りを果たした[1]。ヒット曲の多くは、モータウンの看板作曲家チームのホーランド=ドジャー=ホーランドの作品である。元々、ダイアナ一人が目立っていたザ・スプリームスだったが、1967年にはメンバーチェンジを機に、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスと正式にグループ名が変わった。68年から69年にかけて、ますますリードシンガーのダイアナ一人に注目が集まるようになったが、メアリー・ウィルソンとシンディ・バードソングはバックで歌い続けた[2]
1970年以降/ソロ時代

ザ・スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。ソロ転向後も、同年リリースの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)[注 3]を皮切りに、「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、「マホガニーのテーマ(Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To))」(1976)、「ラブ・ハング・オーバー」、「アップサイド・ダウン」、「アイム・カミング・アウト」などの大ヒットを放ち、ソロ歌手としての地位を確立した。また70年代後半のディスコ全盛時代には、ゲイのDJやゲイのディスコ客らによって、ドナ・サマー、グロリア・ゲイナーらと並んで「ディスコ・クイーン」の地位にまつりあげられた。

1971年ビリー・ホリデイの伝記映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』に主演として起用され映画女優デビューした。この配役に関して批判もあったが、1972年10月に映画が公開されると、彼女の演技は好評だった。ロスの演技によりゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞新人賞を獲得した。サウンドトラックもヒットし、Billboard 200で2週連続第1位を獲得し、発売後8日間で30万枚を出荷し当時の記録を破った。200万枚近くを売り上げ、ロスのアルバムのベストセラーの1つとなった。

1975年に公開された、ロスの2本目の映画『マホガニー物語』でも主演を務め、ロス自身が衣裳デザインを担当した。ファッション・デザイナーを志望する女性がトラブルに巻き込まれながらランウェイ・モデルとなり業界最高峰となる話であった。監督は当初トニー・リチャードソンであったが製作途中で降板し、ベリー・ゴーディが引き継いだ。ゴーディとロスは撮影の最中衝突し、ロスは撮影終了前にプロダクションから離脱したためゴーディは秘書のエドナ・アンダーソンをボディ・ダブルに起用した。興行収入の上では成功したが批評家からの評価は低く、『タイム』誌はゴーディを「アメリカで最も才能のある者の1人であるダイアナ・ロスの無駄遣い」と非難した[3]。1976年、『ビルボード』誌のランキングでロスが歌う主題歌が第1位を獲得した。

1977年、モータウンはライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を全員アフリカ系アメリカ人出演者によりブロードウェイで上演していた『ザ・ウィズ』の映画化権を獲得した。当初映画には舞台出演者が多く出演することになっていた。しかしドロシー役は舞台版ではステファニー・ミルズが演じていたが、ロスが映画プロデューサーのロブ・コーエンに自分を配役するよう掛け合ったためにドロシー役はロスが配役された。このためドロシーは学生から学校の先生に脚本が変更された。カカシ役も舞台で演じた役者ではなく元モータウンのマイケル・ジャクソンが配役された。映画『ウィズ』は2,400万ドルで製作されたが、1978年10月公開以降興行収入は2,105万ドルであった[4][5][6]。公開前にCBSにテレビ放映権を1千万ドルで売却していたが、モータウンとユニバーサルは1,040万ドルの損失となった[5][6]。当時ミュージカル映画で最も高額な製作費であった[7]。この映画の失敗により、ロスの大作映画での短いキャリアは終了し、1970年代初頭から中期にかけてのブラックスプロイテーション時代に人気のあった全員黒人出演者による映画製作はハリウッドから遠のいていった[8][9][10]。『ウィズ』はロスにとってモータウンで最後の映画となった。

1973年初頭、ホリデイの「Good Morning Heartache」のロス版はあまりヒットしなかったが、1975年後期、「Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)」はロスにとって3枚目の第1位となった。3年後、ロスとマイケル・ジャクソンの「Ease on Down the Road」はまずまずのヒットとなった。彼らの2枚目のデュエットで『ウィズ』のアンサンブルの一部であった『Brand New Day』は海外でもヒットした。1980年後期、映画『It's My Turn』のテーマ曲がトップ10にランクインした。USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

1980年の「アップサイド・ダウン」では、ナイル・ロジャースのプロデュースによるディスコ・サウンドとセクシーなイメージ戦略で新境地を開いた。翌1981年には元コモドアーズシンガーソングライターであるライオネル・リッチーと映画『エンドレス・ラブ』のテーマ曲「エンドレス・ラブ」をコラボレートし、この曲は全米1位を記録し、アカデミー賞主題歌賞にノミネートされ、モータウン・レコード最後のヒット曲となり、年間でも第1位の曲となった。

1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイ1973年にデュエット作をリリース)に捧げた「ミッシング・ユー」の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、1988年、ロスは『リトルフット』のテーマ曲をレコーディングした。

日本では1990年に「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌に採用され、ヒットとなった。

1993年、テレビ映画『Out of Darkness』に出演し、女優業を再開した。この演技は称賛され、ゴールデングローブ賞3回目のノミネートとなった。1999年、ブランディと共にテレビ映画『Double Platinum』に主演し、その直後にアルバム『Every Day Is a New Day』がリリースされた。
2000年以降2008年12月、オスロで開かれたノーベル平和賞コンサートにて

2000年には、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで行われた「ディーヴァズ・ライヴ“ダイアナ・ロス・トリビュート”」に、マライア・キャリードナ・サマーらと共に出演し、2005年にはアイルランドのアイドルグループ、ウェストライフがダイアナとのデュエット曲をリリース、久々の現場復帰を果たした。

また、幼い頃から親交が深いマイケル・ジャクソンの事件やトラブルの時は弁護し、マイケルのドキュメンタリーにも出演している。遺言書にマイケルの子供達の後見人であるマイケルの母キャサリン亡き後の後見人に指名されているが、マイケルの追悼式や埋葬式には出席しておらず、これを受けるかに関しても公に発言していない。

子女の芸能界入りおよび婚姻(娘のトレイシー・エリス・ロスは女優となり[11]、息子のエヴァン・ロス(英語版)は歌手となって女優のアシュリー・シンプソンと結婚)により、現在のロス一家が徐々に芸能家族となっている。

2016年、大統領自由勲章を受章[12]
ナンバーワン・ヒッツ

ダイアナはスプリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のBillboard Hot 100 1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。
スプリームス時代

Where Did Our Love Go(1964)

Baby Love(1964)

Come See About Me(1964)

Stop! In the Name of Love(1965)

Back in My Arms Again(1965)

I Hear a Symphony(1965)

You Can't Hurry Love(1966)

You Keep Me Hangin' On(1966)

Love is Here and Now You're Gone(1967)

The Happening(1967)

Love Child(1968)

Someday We'll Be Together(1969)

ソロ

Ain't No Mountain High Enough(1970)

Touch Me In the Morning(1973)

Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)(1975)

Love Hangove(1976)

Upside Down(1980)

Endless Love(1981)

ディスコグラフィ
シングル

発売日レーベル品番面タイトル備考
MOTOWN / VICTORJET-1975AReach Out And Touch
B暗い世界
JET-2062AReach Out I'll Be There
B遥かなる影 (They Long To Be) Close To You
JET-2189AI'm Still Waiting
BSurrender
JET-2194ATouch Me In The Morning
BA Day Without You
1973年JET-2225AYou Are Everythingwith Marvin Gaye

BLove Twins
1973年JET-2230Aわかれ Last Time I Saw Him
BSave The Children
JET-2233AMy Mistake (Was To Love You)with Marvin Gaye
Bイン・ユア・ライフ Include Me In Your Life
JET-2245Aジョニーよ眠れ Sleepin'
BYou
1974年JET-2269ADon't Knock My Lovewith Marvin Gaye
B愛のひとこと Just Say, Just Say
JET-2307A悲しみの終わる時 Sorry Doesn't Always Make It Right
BTogether
JET-2349Aマホガニーのテーマ Theme From Mahogany (Do You Know Where You're Going To)
B想い出にくちづけ No One’s Gonna Be A Fool Forever
VIP-2006ATouch Me In The Morning
Bわかれ Last Time I Saw Him
VIP-2050A噂の二人 You're A Special Part Of Mewith Marvin Gaye
BI'm Fall In Love With You
VIP-2401A愛の流れに I Thought It Took A Little Time
BAfter You
1976年VIP-2420ALove Hangover
BKiss Me Now
1977年VIP-2573A燃える想い Gettin' Ready For Love
BConfide In Me
VIP-2597Aソー・グッド Your Love ls So Good For Me
BBaby It's Me
VIP-2618A愛のほほえみ You Got It
BBaby It's Me
1978年VIP-2682ALoving Living Giving
BTogether
1979年VIP-2700AIt's My House
BSparkle
1979年VIP-2704APops We Love Youwith Marvin Gaye,Smokey Robinson,Stevie Wonder


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