タージマハル
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「タージ・マハル」のその他の用法については「タージ・マハル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

タージ・マハル
インド

タージ・マハル
英名Taj Mahal
仏名Le Taj Mahal
登録区分文化遺産
登録基準(1)
登録年1983年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

タージ・マハル(ヒンディー語: ??? ???, ウルドゥー語: ??? ???‎, 英語: Taj Mahal)は、インド北部アーグラにある、総大理石墓廟[1]ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した。インド・イスラーム文化の代表的建築である。1983年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年新・世界七不思議に選出された[2]

ムムターズ・マハルは、謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン・ローディー討伐に付き従っていた遠征先のブルハーンプル[3]産褥病のため、1631年6月7日に死亡した。彼女の遺言のひとつに、後世に残る墓を所望した[4]。彼女はブルハーンプルのザイナーバードの庭園に葬られ、毎週金曜日にはシャー・ジャハーンが訪れていた[3]1632年着工、1653年竣工とされる[3]

霊廟の計画はブルハーンプル滞在時には着手され始めたと考えられる。1632年の初めにムムターズ・マハルの遺体は都アーグラに送られ、ダールル・ヒラーファト・アクバラーバードの庭園に安置されたが、シャー・ジャハーンはデカン討伐を続けた。同年6月、シャー・ジャハーンが遠征を終えるとアーグラに戻り、ムムターズ・マハルの一回忌追悼式典が催され、霊廟建設が開始された。基礎工事を経て1636年には白い霊廟がほぼ完成。さらにこれを挟んでモスクと集会場・尖塔・大楼門が建設された。大楼門北側には「神のご加護により、1057年竣工」という文字が刻まれている。

イスラーム暦1057年は西暦1648年であり建設開始から17年を経ているが、その後に付帯設備が5年間をかけて整備され、すべての工事は1653年に完了した[3]。なお、シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしたとされるが、これは実現しなかった。
名称


シャー・ジャハーンムムターズ・マハル

タージ・マハルの位置(アーグラ) 周辺地図 中域地図

名前の由来は不確定ながら、王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったという[5]。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者[5]」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号。また、彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムとされる[5]。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。

また、地元では親しみを込めてビービー・カー・ラウザと呼ばれていた。ビービーは親しみを込めた貴婦人への呼びかけ。カー・ラウザは「(その貴婦人)の廟園」を意味する[5]
構造敷地図(左が北)
敷地

タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地にある。南端の約1/4部分は前庭があり、その北端にある大楼門を挟み広がる庭園は一辺296mの正方形であり、水路遊歩道によって東西南北それぞれに2等分され、さらにそれぞれが4つの正方形で区分されている。その北には敷地の約1/4を占める基壇の上に、廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場がある[3]

南の大楼門はダルワーザー、ムガル式四分庭園はバギーチャー、西側のモスクはマスジド、東側の迎賓施設はミフマーン・カーナー(ジャマート・カーナー[3])、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟はマウソレウムと言う。

タージ・マハルの基本設計は、ムガル帝国の墓廟方式の伝統を踏襲している。しかし、例えばフマーユーンの廟やアクバルの廟とは異なる点もある。これらは正方形の庭園の中心に廟堂があり、四方のどの門から入っても同じ景色が目前に広がるように設計されている[6]。それに対し長方形構造と墓廟を北の端に配したタージ・マハルはこの例に倣っていない[3]。また、敷地内にモスクを持つ事も独特である[3]
前庭部と大楼門大楼門

大楼門の南には前庭や車だまりおよび従者が控える建物がある[3]。大楼門は赤砂岩づくりで高さ約30m。イスラーム建築で多用される大きなアーチを持つイーワーンであり、両側には八角形の太いがある。イーワーンの上には、ファテープル・シークリーの寺院にも見られる白い鍾乳石の型体をした11個の丸屋根がある[3]
庭園庭園

大楼門をくぐった先に広がる庭園には天上の4本の川をあらわす4本の水路が四方に流れ、この水路が交わるところには天上の泉を表す池が配置されている[7]。これはペルシャ様式のチャール・バーグ式を踏襲している[3]

水の供給には直径約23cmの管路から行われる。庭園植物への灌水の他、これはさらに細い管を通して水路の南北にある計24基と、中央の泉にある5基の噴水へ水の供給が行っている。通常ならば取水口から遠い噴水には水圧が低下するが、タージ・マハル庭園ではそれぞれの噴水の下にが埋め込まれ、ここに一度水を貯めることで各噴水の高さに差が現れないよう工夫されている[3]

ムガル朝の霊廟形式では、本来庭園の中心に墓廟があり、四方いずれからも同じ景色をつくる。タージ・マハルの庭園の中心には、墓廟の代わりに一辺23mの四角い白大理石づくりの基壇がある。中央の泉は一辺13mの方形であり、池と基壇の各辺の比は、墓廟とその基壇の比とほぼ一致する[3]

霊廟の庭園は、イスラーム教徒にとって砂漠の中の楽園を意味する。タージ・マハルも同様に列柱回廊で囲まれ、東西には門の代わりにバルコニーを備えた二階の楼台(バラダリ)がある。その中には豊かな花々果樹が植えられ、季節によってバラチューリップユリマリーゴールド水仙などが咲き、マンゴーオレンジレモンザクロリンゴブドウなどがを結んでいた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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