タンペレ
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タンペレ
Tampere / Tammerfors



市章

愛称 : Manchester of the North, Manse(北のマンチェスター)
位置

タンペレの位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯61度30分0秒 東経23度46分0秒 / 北緯61.50000度 東経23.76667度 / 61.50000; 23.76667
歴史
設立18世紀後半
行政
 フィンランド
 県ピルカンマー県
 郡タンペレ郡
 市タンペレ
地理
面積 
  市域689.59 km2 (266.25 mi2)
    陸上  525.03 km2 (202.72 mi2)
    水面  164.56 km2 (63.54 mi2)
人口
人口(2021年現在)
  市域244,315人
    人口密度  465.34人/km2(1205.2人/mi2)
その他
等時帯EET (UTC+2)
夏時間EEST (UTC+3)
公式ウェブサイト : https://www.tampere.fi

タンペレ(フィンランド語: Tampere: フィンランド語発音: [?t?mpere] ( 音声ファイル))は、フィンランド共和国ピルカンマー県都市。タンペレ郡に属する。スウェーデン語ではタンメルフォシュ(Tammerfors, [t?m?ar?fors?] ( 音声ファイル))と称する。語源は古スウェーデン語のdamber(ダム)+fors(急流)。タンペレは北欧諸国の内陸部で最も人口の多い都市であり、都市部の人口は約24万人である。
歴史タンペレ大聖堂

18世紀後半、スウェーデン王のグスタフ3世のもとで建設された[1]。フィンランドが帝政ロシアの支配下に入ったのちは、紡績業などを中心として工業が発達した。1876年には鉄道も開通している。工業化にともなって労働者の数も年々増加し、フィンランドにおける労働運動、そして社会主義・共産主義運動の中心地であった。レーニンが最初にスターリンに出会ったのがタンペレであったなど、ソビエト連邦の歴史ともつながりが深い。世界で唯一のタンペレ・レーニン博物館(英語版)がある。1917年には亡命中のレーニンがこの地で『国家と革命』を執筆している。1918年に勃発したフィンランド内戦で最大の戦いであるタンペレの戦いが、この都市で起こった。

第二次世界大戦後には周辺地域を編入合併することで自治体域を拡大させており、1947年にはMessukylaが、1950年にはLielahtiが、1966年にはAitolahtiが、1972年にはTeiskoがタンペレに吸収された。この時期までは繊維産業や金属産業で知られていたが、1990年代には情報技術産業や電気通信産業がとってかわった。Hervantaにある技術センターにはこれらの企業の本部が多く置かれている。
地理ピュハ湖

タンペレはピルカンマー県の県庁所在地であり、2010年まではトゥルクを州都とする西スオミ州に属していた。隣接する自治体としては、カンガサラ(英語版)、レンパーラ(英語版)、ノキア、オリヴェシ(英語版), ピルッカラ(英語版)、ルオヴェシ(英語版)、ユロヤルヴィがある。

北欧諸国の内陸部ではもっとも人口の多い町である。2011年の自治体人口は223,292人であり[2]都市的地域の人口は330,711人であり[3]、タンペレ都市圏(英語版)の人口は364,000人(人口密度は4,977人/km2)である[4][5]。都市的地域の人口ではヘルシンキに次いでフィンランド第2位であり、自治体人口ではヘルシンキとエスポーに次いで第3位である。ヘルシンキ都市圏(英語版)の外側ではフィンランドでもっとも人口の多い地域であり、中部フィンランドにおける経済的・文化的な中心地である。タンペレ市立図書館の階下にはムーミン谷博物館(英語版)があり、トーベ・ヤンソンの作品『ムーミン』の関連品が展示されている。南約160kmの距離にヘルシンキがあり、鉄道では1.5時間、車では2時間で訪れることができる。トゥルクまでもほぼ等距離である。

タンペレの町はネシ湖ピュハ湖に挟まれている。ネシ湖の標高は95m、ピュハ湖の標高は77mであり、両者を結ぶタンメルコスキ川(英語版)で水力発電を行うことでタンペレに産業が発達した[6]。製紙、皮革、繊維産業などが発展していたが、近年は、ノキア (NOKIA) などのIT産業やITを活用した機械工業が主要産業。タンペレは「フィンランドのマンチェスター」とも呼ばれる[5][7][8]
気候

タンペレは湿潤大陸性気候亜寒帯気候の境界に位置し、ケッペンの気候区分ではDfbまたはDfcとなる。冬季は寒く、11月から3月の平均気温は摂氏0度を下回る。夏季は穏やかである。11月下旬から4月上旬まで、4か月から5か月にわたって降雪がある。

タンペレ(1981?2010)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)8.0
(46.4)9.4
(48.9)14.9
(58.8)24.2
(75.6)28.4
(83.1)31.7
(89.1)33.1
(91.6)32.1
(89.8)24.8
(76.6)18.4
(65.1)11.1
(52)9.6
(49.3)32.5
(90.5)
平均最高気温 °C (°F)?3.4
(25.9)?3.5
(25.7)1.2
(34.2)8.2
(46.8)15.4
(59.7)19.5
(67.1)22.2
(72)19.9
(67.8)14.0
(57.2)7.5
(45.5)1.5
(34.7)?1.9
(28.6)8.4
(47.1)
日平均気温 °C (°F)?6.4
(20.5)?6.9
(19.6)?2.8
(27)3.3
(37.9)9.7
(49.5)14.1
(57.4)16.9
(62.4)15.0
(59)9.8
(49.6)4.6
(40.3)?0.6
(30.9)?4.5
(23.9)4.4
(39.9)
平均最低気温 °C (°F)?9.7
(14.5)?10.6
(12.9)?6.6
(20.1)?1.3
(29.7)3.8
(38.8)8.6
(47.5)11.7
(53.1)10.4
(50.7)5.9
(42.6)1.9
(35.4)?3.0
(26.6)?7.6
(18.3)0.3
(32.5)
最低気温記録 °C (°F)?37.0
(?34.6)?36.8
(?34.2)?29.6
(?21.3)?19.6
(?3.3)?7.3
(18.9)?2.8
(27)1.8
(35.2)?0.4
(31.3)?6.7
(19.9)?14.8
(5.4)?22.5
(?8.5)?34.2
(?29.6)?37.0
(?34.6)
降水量 mm (inch)41
(1.61)29
(1.14)31
(1.22)32
(1.26)41
(1.61)66
(2.6)75
(2.95)72
(2.83)58
(2.28)60
(2.36)51
(2.01)42
(1.65)598
(23.54)
平均降水日数 (?0.1 mm)221816121213151514172122197
湿度90878270636669768287919280
出典1:FMI climatological normals for Finland 1981-2010[9]
出典2:record highs and lows[10]

人口

タンペレの人口推移 1815?2020

TAMPERE
City Population

政治

2007年には新しい政治制度への切り替えが行われ、以後はタンペレ市議会によって1人の市長と4人の副市長が2年ごとに選出されている。在任中の市長は市議会に1議席を有する。2007年には国民連合党のティモ・P・ニエミネン(フィンランド語版)が新市長に就任した。2009年にはニエミネンが再選され、2013年まで市長を務めた。2013年には国民連合党のアンナ=カイサ・イコネン(英語版)が市長に就任した。2017年にはフィンランド社会民主党のラウリ・リリ(フィンランド語版)が新市長に就任した。

歴代タンペレ市長
就任年退任年名前政党
19291943Kaarle Nordlund
19431957Sulo Typpo
19571969Erkki Lindfors
19691985ペッカ・パーヴォラ(英語版)フィンランド社会民主党
19852007ヤルモ・ランタネン(英語版)フィンランド社会民主党
20072013ティモ・P・ニエミネン(フィンランド語版)国民連合党
20132017アンナ=カイサ・イコネン(英語版)国民連合党
20172021ラウリ・リリ(英語版)フィンランド社会民主党
2021在職中アンナ=カイサ・イコネン(英語版)国民連合党

社会
教育タンペレ工科大学

タンペレ周辺には2つの大学と2つの工科大学(フィンランド語: ammattikorkeakoulu)があり、4機関を合わせて4万人の学生を抱えている。タンペレ大学(UTA)は市街地中心部に隣接しており、16,000人以上の学生を有する。タンペレ工科大学(TUT)はHervanta地区にあり、12,000人以上の学生を有する。タンペレ応用科学大学(英語版)は約10,000人の学生を有し[11]、最後のひとつはフィンランド警察学校(英語版)である。
交通タンペレ=ピルッカラ空港中央広場のバスターミナル

タンペレはフィンランドの鉄道における重要な拠点であり、ヘルシンキトゥルク、トゥルク港(英語版)、オウルユヴァスキュラポリなどに対して直通する路線がある。タンペレ駅(英語版)は市街地の中心部に位置しており、フィンランドの各都市に向かうバスターミナルも存在する。タンペレから13km南西のピルッカラ(英語版)にはタンペレ=ピルッカラ空港がある。フィンランドで3番目に利用者数の多い空港であり、2016年には208,930人がこの空港を利用した。

今日のタンペレ市内の公共交通手段はバスのみであるが、1948年から1976年にはフィンランド最大のトロリーバスの路線網を有していた[12]。2017年時点ではバス路線を置き換えるタンペレ・ライトレールの建設が進められている[13]
宗教

フィンランド国民の大半と同様に、タンペレ市民はフィンランド福音ルター派教会に属している。他の教会としては、バプテスト教会、福音自由教会、フィンランド・ルーテル福音教会(英語版)、フィンランド正教会、ノキア・リバイバル教会などがある。
スポーツノキアアリーナのオープニングゲーム。タンペレ・アイス・スタジアム

タンペレでもっとも盛んなスポーツはアイスホッケーであり、フィンランドにおける「アイスホッケーのふるさと」と呼ばれる。フィンランドで初めて建設されたアイスホッケー用のアリーナはタンペレ・アイス・スタジアム(英語版)であり、またフィンランドホッケーの殿堂(英語版)(フィンランドアイスホッケー博物館)がある。フィンランド初のアイスホッケーの試合はタンペレにあるピュハ湖の氷上で行われた。全国リーグであるSMリーガに所属するアイスホッケークラブにはイルヴェス(英語版)とタッパラ(英語版)の2クラブがあり、タッパラは10回(1位タイ)、イルヴェスは1回優勝している。

タンペレではサッカーも人気がある。1931年創設のFCイルヴェスは1983年にヴェイッカウスリーガで優勝した。1998年にはタンペレ・ユナイテッドが設立され、2001年・2006年・2007年にヴェイッカウスリーガで優勝したが、2011年に解散した。バスケットボールクラブのTampereen Pyrinto(英語版)は2010年と2011年と2014年にフィンランドリーグで優勝した。アメリカンフットボールのタンペレ・セインツが本拠地を置いており、2015年にはディビジョン2で優勝してディビジョン1に昇格した。

1952年のヘルシンキオリンピックではサッカー競技の一部がタンペレ・スタディオン(英語版)で開催された。1965年のアイスホッケー世界選手権や、1967年バスケットボール男子欧州選手権の一部もタンペレで開催されている。1973年と1983年にはカヌースプリント世界選手権の会場となった。1977年には世界ジュニアボート選手権が開催され、1995年には世界ボート選手権が開催された。


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