この項目では、メキシコの自治体について説明しています。イリノイ州の村については「タンピコ (イリノイ州)」をご覧ください。
市章
位置
タンピコの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度15分19秒 西経97度52分07秒 / 北緯22.25528度 西経97.86861度 / 22.25528; -97.86861
タンピコ (Tampico) は、メキシコ合衆国タマウリパス州の基礎自治体である。メキシコ湾に面するメキシコの主要な港湾都市の一つである。人口は約31万人であり、タマウリパス州では4番目である。周辺都市を含めたタンピコ都市圏の人口は約92万人である。
メキシコの石油産業の中心地である。タンピコ港はメキシコ最大の石油の輸出港であり、銀、銅、木材、ウール、麻、その他農産物の主要な輸出港である。なお、海上コンテナの取扱量は近くのアルタミラ港(タマウリパス州)の方が多い。
タンピコの名前の由来はワステカ語(マヤ語族の一つ)で「カワウソの場所」を意味する tam-piko であるとされている。かつてタンピコ周辺の川と潟には大量のカワウソが生息していた。
カニが名産であり、カニの身(又はカニカマ)とチリパウダーを入れたタルタルソースであるタンピコソースの語源である。 この地域には定住者が早い時期から存在し、1000年-1250年頃にはいくつかのワステカ (Huastec) の居住地が繁栄していた。1532年、フランシスコ会のアンドレス・デ・オルモス神父がキリスト教の布教施設を設立した。その後、1554年にスペイン植民地のサン・ルイス・デ・タンピコが建設された。 海賊の襲撃により、住民はパヌコ川の南側への移住を余儀なくされたこともあった。特にラウレンス・デ・グラーフからは破壊的な略奪を受けた。 1823年、現在のタンピコ市が設立された。 メキシコ革命最中の1829年8月、キューバよりやって来たスペイン軍がタンピコに侵攻した。同年9月、提督アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Santa Ana)指揮下の軍が、スペイン軍を降伏させ、メキシコの再支配下となった。その後、タンピコはメキシコ大統領のポルフィリオ・ディアスの施政下で発展を遂げた。 1901年、メキシコで最初の油井が建設され石油の採掘が始まった。石油はタンピコに莫大な富をもたらしたが、埋蔵量が少なく1930年代には資源は枯渇した。現在は採掘の難しいシェールオイルの調査が行われている。
歴史
観光アルマス広場リベルター広場ニューオーリンズ様式の建築物