タンピコ
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この項目では、メキシコの自治体について説明しています。イリノイ州の村については「タンピコ (イリノイ州)」をご覧ください。

タンピコ
Tampico


市章

位置

タンピコの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度15分19秒 西経97度52分07秒 / 北緯22.25528度 西経97.86861度 / 22.25528; -97.86861
歴史
建設1823年4月13日
行政
メキシコ
 タマウリパス州
 市タンピコ
地理
面積 
  市域92.73 km2 (35.8 mi2)
標高10 m (33 ft)
人口
人口(2015年現在)
  市域314,418人
  都市圏929,174人
その他
等時帯中部標準時 (UTC-6)
夏時間中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.tampico.gob.mx

タンピコ (Tampico) は、メキシコ合衆国タマウリパス州基礎自治体である。メキシコ湾に面するメキシコの主要な港湾都市の一つである。人口は約31万人であり、タマウリパス州では4番目である。周辺都市を含めたタンピコ都市圏の人口は約92万人である。

メキシコの石油産業の中心地である。タンピコ港はメキシコ最大の石油の輸出港であり、木材ウール、その他農産物の主要な輸出港である。なお、海上コンテナの取扱量は近くのアルタミラ港(タマウリパス州)の方が多い。

タンピコの名前の由来はワステカ語マヤ語族の一つ)で「カワウソの場所」を意味する tam-piko であるとされている。かつてタンピコ周辺のには大量のカワウソが生息していた。

カニが名産であり、カニの身(又はカニカマ)とチリパウダーを入れたタルタルソースであるタンピコソースの語源である。
歴史

この地域には定住者が早い時期から存在し、1000年-1250年頃にはいくつかのワステカ (Huastec) の居住地が繁栄していた。1532年フランシスコ会のアンドレス・デ・オルモス神父がキリスト教布教施設を設立した。その後、1554年スペイン植民地のサン・ルイス・デ・タンピコが建設された。

海賊の襲撃により、住民はパヌコ川の南側への移住を余儀なくされたこともあった。特にラウレンス・デ・グラーフからは破壊的な略奪を受けた。

1823年、現在のタンピコ市が設立された。

メキシコ革命最中の1829年8月、キューバよりやって来たスペイン軍がタンピコに侵攻した。同年9月、提督アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Santa Ana)指揮下の軍が、スペイン軍を降伏させ、メキシコの再支配下となった。その後、タンピコはメキシコ大統領ポルフィリオ・ディアスの施政下で発展を遂げた。

1901年、メキシコで最初の油井が建設され石油の採掘が始まった。石油はタンピコに莫大な富をもたらしたが、埋蔵量が少なく1930年代には資源は枯渇した。現在は採掘の難しいシェールオイルの調査が行われている。
観光アルマス広場リベルター広場ニューオーリンズ様式の建築物


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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