タントラ
[Wikipedia|▼Menu]
ヒンドゥー教のシュリー・ヤントラの図像

タントラ(?????? Tantra)とは、ヒンドゥー教においては神妃(シヴァ神妃)になぞらえられる女性的力動の概念シャクティ(性力)の教義を説くシャークタ派聖典[1]仏教においては中世インドの主に8世紀以降に成立した後期密教聖典の通称である[2](また、広く密教聖典全般をタントラとみなす場合もある)。スートラは糸を意味し、「経」(縦糸)と漢訳されたが[3]、これに対してタントラはサンスクリットで織機(はた)、縦糸、連続などを意味し[4]経典に表れない秘密を示した典籍であることを含意する[5]チベット仏教では「連続」(相続)[6]として定義され、ある種の密教の教えが記された聖典を指す言葉として用いられる[7]。タントラという宗教文献の存在は、インドを訪れたキリスト教の宣教師によって18世紀末頃に西洋に紹介され、それから後年、タントリズム(タントラ教)という言葉が生まれた[8]。今日、欧米の研究者らは、タントリズムという用語をヒンドゥー教仏教ジャイナ教の各宗教の一部にみられるある種の汎インド的宗教形態を指す言葉として用いている(学的操作概念であり、タントリズムの従事者が自らそう呼んでいるわけではない)[8]。タントラはタントリズムの文献であると言えるが、仏教のタントリズムである密教の聖典がみなタントラと名づけられているわけではなく、ヒンドゥー教の一派であるシャークタ派の聖典はタントラと通称されるが、ヒンドゥー教タントリズムの文献がすべてタントラと呼ばれるわけではない[8]

思想としては、正統派ヒンドゥー教とは別種の救済、解脱の道を説き、シャクティを重視する秘儀的な潮流、霊的方法論で、のちに仏教チベット仏教において密教(秘密仏教、タントラ仏教、仏教タントリズム)として発展した。タントラは転じて教義一般を指す普通名詞になったため、思想としてのタントラ(タントリズム、タントラ教)は、特定の思想体系を意味するものではない[9]。インド思想史において、思想としてのタントラは最も定義が困難なもののひとつであるが、大まかに言うと、ウパニシャッド梵我一如に表される大宇宙と小宇宙の相関符合の神秘思想によって世界観が基礎づけられたもので、ヴェーダ的な伝統を受け継ぎつつも、軽視あるいは否定する面を持ち、絶対的最高原理を認め、これと融合・合一することで生前解脱することを目指し、現世を肯定し自在に支配しようという、全体として秘儀的な教義と実践の体系である[10]。一般的には、ヴィシュヌ派、特にパンチャラートラ派(英語版)のサンヒター(英語版)、シャイヴァ・シッダーンタ派(聖典シヴァ派)のアーガマ(英語版)、シャークタ派のタントラなどを指して「タントラ文献」と称する[11]。思想としてのタントラは、タントラ文献によって代表される思想体系あるいは特定の学派のみを指すわけではない[9]。タントラ文献が全てタントリズムの聖典であるとは限らず、「サンヒター」「アーガマ」「スートラ」など「タントラ」以外の名で呼ばれる文献にも、タントリズムの性格を有するものが多くある[11]

ヒンドゥー教シャークタ派の聖典はインドで 800年前後(ある種のタントラ文献は7世紀)に作られたと考えられ、64種あるいは 192種あるとされる[12]。タントラ文献には、さらには実践行法に関する規則、神を祀る次第や具体的方法も含む[13]。通説ではタントラは7 - 8世紀に成立したと考えられているが、パンチャラートラ派の最古のサンヒターの成立年代や、タントラ的要素を多く含む仏教の密教仏典の漢訳年代も考えると、5世紀までさかのぼる可能性があり、思想や儀式が洗練されて普及し文献にまとめられた期間を考慮すると、文献成立よりさらに古い可能性がある[14]。ヒンドゥー教のタントラ文献と、密教の文献は同時期に成立している[15]

アメリカのインド学者デイヴィッド・ゴードン・ホワイトは、タントラ的実践や儀礼が行われていた地域として南アジアチベットモンゴル中国韓国日本カンボジアミャンマーインドネシアなどを挙げ、タントラ的諸神格が汎アジア的に信仰されていたことから、ヒンドゥー教仏教ジャイナ教にそれぞれ別個にタントリズムが存在したというよりむしろ、前近代のアジアの諸宗教では、各宗教のタントリズム的ヴァリエーションという形で、宗教横断的に「タントラ」という伝統が存在していたのだと説明している[16]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:90 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef