タンタンのコンゴ探険
(Tintin au Congo)
発売日
1931年(モノクロ版)
1946年(カラー版)
シリーズタンタンの冒険シリーズ
出版社Editions du Petit Vingtieme
制作陣
製作者エルジェ
オリジナル
掲載20世紀子ども新聞
『タンタンのコンゴ探険』(フランス語: Tintin au Congo)は、ベルギーの漫画家エルジェによる漫画(バンド・デシネ)、タンタンの冒険シリーズの2作目である。ベルギーの保守紙『20世紀新聞(英語版)』 (Le Vingtieme Siecle)の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞(英語版)』(Le Petit Vingtieme)にて1930年6月から1931年6月まで毎週連載されていた。当初はモノクロであったが、1946年に著者本人によってカラー化された。ベルギー人の少年記者タンタンを主人公とし、愛犬スノーウィと共にベルギーの植民地であるコンゴ(ベルギー領コンゴ)に派遣され、現地人との出会いや、ダイアモンド利権を巡る白人密航者の陰謀に関わる。
前作『タンタン ソビエトへ』が読者に好評であったことから、その続編として企画され、前作完結後の翌月には本作の連載が開始された。舞台やテーマは前作と同じく、新聞社の経営者であるノルベール・ヴァレーズ(英語版)の指示の下、当時のベルギーの植民地であったアフリカのコンゴに決まり、保守主義者である彼の意向に沿うような植民地主義を肯定するような内容になっている。こうした描写やテーマは当時は初期作品の中でも特に人気を博したが、20世紀後半になると、コンゴ人に対する人種差別や大型動物のハンティングを美化するような内容に批判が見られるようになっていた。ベルギー、スウェーデン、イギリス、アメリカと、本作を発禁処分としたり、未成年者への閲覧制限を課す国も出てきた。本作に対する批評家意見は大半が否定的であり、前作『ソビエトへ』よりはまだ良かったが、エルジェの作品の中で最低なものの1作とも評される。
日本語版は、2007年に福音館書店より出版された(川口恵子訳)。 『20世紀子ども新聞』の報道記者であるベルギー人少年タンタンは、ベルギー領コンゴを取材するため、愛犬のスノーウィと共に現地へ派遣される。本国人のタンタンは現地で歓迎をもって迎えられ、地元の少年ココを雇って取材旅行を開始する。一方、タンタンがコンゴにやってくる際に乗っていたフェリーには謎の密航者も潜んでおり、タンタンは何度も彼に命を狙われる。さらには、タンタンをよく思わない地元民の呪術師ムガンガの妨害も受ける。
あらすじ
歴史
執筆背景コンゴについては、『タンタン ソビエトへ』と同じく、1930年当時のブルジョア社会の偏見に踊らされていたのが本当のところだ。私が知っていたのは、当時に一般に言われるこうした国の話だけだった。つまり、「アフリカはとても大きな子供であり、(中略)私達の存在が彼らにとって感謝すべきものだ」とかね。だから、そういう基準でアフリカ人を描いたんだ、当時のベルギーにあった純粋なパターナリズム(温情主義)に基づいてさ。Numa Sadoul
作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)は、故郷ブリュッセルにあったローマ・カトリック系の保守紙『20世紀新聞(英語版)』(Le Vingtieme Siecle)で働いており、同紙の子供向け付録誌『20世紀子ども新聞(英語版)』(Le Petit Vingtieme)の編集とイラストレーターを兼ねていた[2]。同紙は教会のアベで、親ファシストでもあったノルベール・ヴァレーズ(英語版)が経営と編集長を務めており、「教義と情報のためのカトリック新聞」を標榜し、彼の親ファシスト的な論調はそのまま紙面にも反映されていた[3] 。ハリー・トンプソン(英語版)によれば、当時のベルギーにおいて、こうした政治思想は一般的なものであり、エルジェの周囲には「愛国心、カトリック、厳しい道徳、規律、純真」を主とする保守思想が浸透していた[4]。
1929年、エルジェの代表作となる、架空のベルギー人の少年記者・タンタンの活躍を描く『タンタンの冒険』の連載が始まった。第1作目『タンタン ソビエトへ』は、1929年1月10日から1930年5月8日まで毎週連載されて大成功を収め、すぐに続編の企画が立ち上がった。エルジェは今度はアメリカを舞台としたいと考えていたが、ヴァレーズは当時ベルギーの植民地であったコンゴ(ベルギー領コンゴ)を舞台とするよう指示した[5]。ベルギーの子どもたちは学校でコンゴについて習っていたが、ヴァレーズは読者に植民地経営や宣教活動への熱意を持ってほしいと狙っていた[6]。特に1928年の、ベルギー王アルベール1世とエリザベート王妃のコンゴ訪問の記憶もまだ新しい時期であり、ベルギーの植民地行政のさらなる振興が必要だとヴァレーズは考えていた[7]。そして読者の中から、コンゴで働くことを希望する者が出てくることを期待した[8]。
前作『タンタン ソビエトへ』において、ほぼ単一の情報源に頼っていたように、本作でも限定的な情報源を元にコンゴや、その人々を描いていた。それは主として宣教師が書いた文献を中心に物語は構築されており、おそらく唯一、オリジナルであったのはダイヤモンドの密輸業者くらいだったと思われる[9]。他にエルジェはベルギーの王立中央アフリカ博物館を訪れ、コンゴの民俗学的な収蔵品を取材した[10]。また、ハンティングのシーンは、アンドレ・モーロワの小説『ブランブル大佐の沈黙』から借用し、動物の絵はバンジャマン・ラビエ (英語版)の版画が基になっていた[11]。