タンジェリン・ドリーム
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この項目では、ドイツの音楽グループについて説明しています。Do As Infinityのシングル曲については「Tangerine Dream」をご覧ください。

タンジェリン・ドリーム
Tangerine Dream
英ケンブリッジ公演より、左から山根星子、クォーシュニック、フリック(2022年3月)
基本情報
出身地 ドイツ 西ベルリン
ジャンルクラウトロック
電子音楽
プログレッシブ・ロック
スペース・ロック
ニューエイジ・ミュージック
アンビエント
現代音楽
活動期間1967年 ? 現在
レーベルオール
ヴァージン
ジャイブ・エレクトロ
プライベート・ミュージック
ミラマー
TDI
Eastgate
Sequel/Castle
公式サイトtangerinedream-music.com

メンバートーステン・クォーシュニック
山根星子
パウル・フリック

旧メンバーエドガー・フローゼ
クリストファー・フランケ
ピーター・バウマン
ほか別記参照

タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)は、ドイツ電子音楽グループ。

1968年に結成され、1970年代にはプログレッシブ・ロックバンドのひとつとして人気を博した。カンアモン・デュールIIクラフトワークノイ!らとともにクラウトロックの代表的なバンドである。「電子音楽」「ニューエイジ」「アンビエント」など現代の音楽シーンに少なからぬ影響を残した。2015年に、主宰者であるエドガー・フローゼが死去。残されたメンバーが遺志を引き継いで活動を続けている。
略歴
クラウトロック期(1967年 - 1973年)創設者エドガー・フローゼ(2007年)

エドガー・フローゼ1944年ドイツティルジット(現在はロシア領)で生まれた。彼は1962年ベルリン・アカデミーに入学し、同年前身となるロック・バンド「ザ・ワンズ」を結成。1967年にはシュールレアリスムの画家サルバドール・ダリとコラボレーションを行っている。同年、ザ・ワンズを解散し、新たにタンジェリン・ドリームを結成[1]

1969年にメンバーを一新し、クラウス・シュルツェコンラッド・シュニッツラー、エドガーというメンバーで「オール(Ohr)・レーベル」と契約。翌1970年、ファースト・アルバム『エレクトロニック・メディテイション』をリリース。後年の視点からするとさほど電子的とは言えないが、エレクトロニクス処理を施したギター、オルガン、チェロ、フルート、ドラムなどによるフリーミュージックを演奏している。

このあと、クラウス・シュルツェとコンラッド・シュニッツラーは脱退。エドガーは「アジテーション・フリー」のクリストファー・フランケとスティーヴ・シュローダーをスカウトしてメンバーを補充。その後すぐにシュローダーは「ジ・アンツ」のピーター・バウマンと交代。このころから現代音楽家のトーマス・ケスラーの影響を受け、急速に電子音楽化している。

1971年『アルファ・ケンタウリ』、1972年『ツァイト』、1973年『アテム』の各アルバムをリリース。いずれも現代音楽的で難解な作品だが、1972年末のドイツの『サウンズ』誌の人気投票で最優秀グループに選ばれている。
メジャーデビュー - クリストファー・フランケ脱退まで(1973年 - 1987年)

1973年、4thアルバム『アテム』が、当時のイギリスの人気ラジオDJのジョン・ピールにプッシュされて話題となり、イギリスの新興レーベル「ヴァージン・レコード」(当時はポリドール・レコード傘下)と契約し、世界規模で再デビューした[2]

1974年にアルバム『フェードラ』、1975年にアルバム『ルビコン』をリリース。ミュージックシーケンサーを全面的に使った最初期のポップミュージック作品であり、当時行き詰まりつつあったプログレッシブ・ロック・シーンに新風を吹き込んだと評された。しかしその後のグループの歩みは必ずしも順風満帆とはいえない。

1976年のアルバム『ストラトスフィア(浪漫)』からは、リズム、メロディ、ハーモニーという伝統的な音楽語法に回帰し、従来のファンを戸惑わせた。しかし、のちに広く認知されたタンジェリン・ドリームの音楽スタイルは、ここから出発したといえる。

1977年ウィリアム・フリードキン監督の映画『恐怖の報酬』のサウンドトラックを担当し、高く評価された。1980年代にはサントラの仕事がメインのようになり、ホラー・SF系の映画のサントラをさかんに手がけ、その典型的なスタイルを作った。

ライブ・コンサートを数多くこなし、演奏を繰り返すうちに曲を練り上げるという「半即興」スタイルをとった。

ヴァージン・レコードとの契約は1983年のアルバム『ハイパーボリア』で終了。そのあとは、ジャイブ・エレクトロ、プライベート・ミュージック、ミラマー、TDI(自主レーベル)というレーベルを渡り歩いている。同年、初来日公演。

1987年に主要メンバーであったクリストファー・フランケが脱退。
エドガー・フローゼ主導時代(1988年 - 2014年).mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

1990年にエドガーの息子ジェローム・フローゼが加入し、しばらく父子のふたりで活動していたが、その後、ジェロームはグループを離れている。

2009年、26年ぶりの来日公演を開催。

2011年より、日本の女性ヴァイオリニスト、山根星子が加入[3]。アルバム『Edgar Allan Poe's The Island Of The Fay』に収録されている「Fay Bewitching The Moon」での即興演奏が話題となる。
新体制以降(2015年 - )

2015年1月20日、主宰エドガー・フローゼがウィーンにて肺塞栓症で死去。


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