タングート語
[Wikipedia|▼Menu]

西夏語

?? ()
西夏語の仏典
話される国西夏
民族タングート
話者数?
言語系統シナ・チベット語族

(チベット・ビルマ語族)

チアン語群

北部

西夏語




表記体系西夏文字
公的地位
公用語 西夏
統制機関統制なし
言語コード
ISO 639-3txg
'"`UNIQ--templatestyles-00000002-QINU`"'Linguist List ⇒txg
Glottologtang1334[1]
テンプレートを表示

西夏語(せいかご、英語: Tangut)は、古代の北東チベット・ビルマ語族の言語であり、西夏王朝においてかつて話されていた。Lai et al. (2020) はこの言語をチアン語群のうちギャロン語群に含めている[2]。Beaudouin (2023) によれば、西夏語はより正確にホルパ語群の中に位置づけられるべきである[3]チベット語ビルマ語とは遠い親縁関係にあり、中国語とはさらに遠い親縁関係にある。

西夏語は11世紀はじめにタングート人によって建てられた西夏王朝(チベット語でミニャクと呼ばれ、漢字で「弥薬」と音訳される)の公用語であった。西夏は1226年にチンギス・ハーンの侵略によって滅亡した[4]

西夏語は専用の書記体系である西夏文字を持っていた。

西夏語で書かれた現存するもっとも年代の新しい文献は1502年の紀年のある石幢であり、このことは西夏滅亡後300年近くたってもまだ西夏語が使われていたことを示唆する。
再発見

現代において西夏語の研究がはじまったのは20世紀のはじめにジョルジュ・モリスが西夏文法華経を入手したときにはじまる。そのテクストには誰によるものかは不明だが漢文で注釈がつけられていた。現存する西夏語テクストの大部分はカラ・ホトにおいて1909年にピョートル・コズロフが発掘したもので、その文書は西夏王国のものと判断された。アレクセイ・イワノヴィチ・イワノフ(英語版)、石濱純太郎ベルトルト・ラウファー、羅福萇(中国語版)、羅福成(中国語版)、王静如(中国語版)らが西夏語の研究に貢献したが、もっとも大きな貢献をしたのはロシア人の学者ニコライ・ネフスキー (1892-1937) であった。ネフスキーは最初の西夏語辞典を編纂し、数多くの西夏語の助辞の意味を再構し、西夏語文書を読んで理解することを可能にした。ネフスキーの学術的功績は没後の1960年になって「タングーツカヤ・フィロローギヤ」(西夏語文献学)の題で出版された。この著作にはソ連のレーニン賞が与えられ、没後にようやく評価された。西夏語の理解は今も完全というには程遠い。クセニヤ・ケピング(英語版)による『西夏語:形態論』( Тангутский язык: Морфология, モスクワ, ナウカ 1985)や、西田龍雄による『西夏語の研究』他によって文法が判明しているものの、西夏語の統辞構造は今もほとんど研究されていない。

カラ・ホト文書は現在サンクト・ペテルブルクロシア科学アカデミー東洋文献研究所に保存されている。幸いにもレニングラード包囲戦でも失われなかった。ネフスキーが1937年に内務人民委員部に逮捕されたときに持っていた多くの西夏語文書はいったん失われたが、よくわからない経緯によって、1991年に戻ってきた[5]。東洋文献研究所は約1万巻の文書を所有し、大部分は11世紀中頃から13世紀はじめまでの仏典・法律・法的文書である。仏典のなかには漢訳やチベット語訳の存在しないものが最近になって多数発見された。ほかに儒教の古典や多くの西夏独自のテクストが保存されている。

数は少ないものの、大英図書館北京中国国家図書館北京大学図書館にも西夏語文書のコレクションがある。
再構

西夏文字と西夏語の発音の関係は、漢字と現代中国語よりもさらに乏しい。漢字の9割は声符を持っているが、ソフロノフによると西夏文字の場合は全体の1割しか声符をもっていない。西夏語の発音を再構するためには文字以外の助けが必要になる。『番漢合時掌中珠』より

西夏語と中国語の二言語語彙集である『番漢合時掌中珠(英語版)』の発見により、イワノフ(1909)とラウファー(1916)は西夏語の音節頭子音を再構し、比較研究を行った。『番漢合時掌中珠』は西夏文字それぞれに漢字1字または複数の字で発音を示し、逆に漢字の発音を1字または複数の西夏文字で示している。もうひとつの資料は西夏語をチベット文字で転写したもので、ネフスキー(1925)によってはじめて研究された。

しかしながら、この2種類の資料では西夏語の体系的再構には不足である。これらの転写は西夏語の発音を正確に表現する目的で行われたわけではなく、母語でない言語の単語を、理解できる別の言語を利用して発音し記憶するのを助けるために書かれたものであった。

現代の再構の基本をなしている3番目の資料は、西夏語だけで書かれた辞典である。これには『文海』、2種類の『同音』、『文海雑編』および題のついていない辞書がある。これらの辞書で発音は中国の辞典の伝統から借りた反切を使って記録されている。これらの辞典は細部では違いを見せるものの(例えば『同音』は文字を音節頭子音と韻母で分類し、声調を無視する)、どれも105韻の体系を使用している。これらの韻のいくつかは音節頭子音の調音位置によって相補分布をなしており(例:第10韻と第11韻、第36韻と第37韻)、これらの辞書を作成した学者が自分の言語を非常に正確に音韻分析していることを示す。

他の言語の転写において、西夏語の反切は韻に関して体系的で非常に正確な区別をおこなっている。反切を使えば西夏語の音韻範疇をよく理解することができる。しかし、それぞれの範疇の音価を定めるためには、辞書から得られる音韻的体系を他の資料と比較しなければならない。

ニコライ・ネフスキーは西夏語の文法を再構し、最初の西夏語・英語・ロシア語辞典を編纂した。この辞典はネフスキーの論文とともに没後の1960年に『西夏語文献学』の題で出版された。ネフスキー以後、主に西田龍雄、クセニヤ・ケピング、?煌城、М・ソフロノフ、李範文(英語版)らによって再構が行われた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef