この項目では、パズルについて説明しています。斑尾高原のスキー場については「タングラムスキーサーカス」を、電脳戦機バーチャロンシリーズに登場する架空の人物並びに兵器については「バーチャロイドの一覧#タングラム」をご覧ください。
タングラムの片の構成
タングラムは、問題として提示された形を作るシルエットパズルの中で非常に有名なものの一つで、正方形をいくつかに切りわけたものを使うパズルである。 タングラムは、以下の図形で構成されている。 タングラムは中国で生まれたと考えられているが、詳しくは分かっていない。 中国の宋の時代に黄伯思という人物が著した「燕几図」という机の並べ方に関する書物があり、7個の長方形の机を並べる物であった。これを基に明の厳澄が、三角形や台形を用いた「蝶翅几」を考案し、それらを更に発展させたのがタングラムであるという説がある。 日本では1742年(寛保2年)に「清少納言知恵の板」(シルエットパズルだが分割法はタングラムと異なる)に関する本が発行されている。 中国では1813年に「七巧図合壁」、1858年に「七巧八分図」という本が刊行される。これらの本はタングラムに関する本である。 ヨーロッパでは、1805年に発行された書籍に紹介されている。その後「七巧図合壁」がヨーロッパでも出版され 1817年にはイギリスでオリジナルの問題集が発売されている。これらが翻訳されることでヨーロッパ中に広まり、各国で多くの問題集が発売されている。 ルイス・キャロルやエドガー・アラン・ポーなど著名人が遊んでいたと言う話も残っており、セント・ヘレナ島に流されたナポレオンが遊んでいたという記録も残っている。 19世紀末にドイツのリヒター社 20世紀に入ってから、サム・ロイドは「タンの8番目の本」を出版した。この本には数百題の絵柄と共に、今日までよく知られているタングラムの名称の由来の話が掲載されている。 現在では、単なる遊びとしてだけではなく幾何学の教材などにも利用されている。 タングラムを遊んでいたとされる19世紀の欧米の著名人は何人かいる。ナポレオン・ボナパルトもその1人だが、彼が本当にタングラムで遊んでいたか疑わしい部分があった。理由として以下のようなものが存在する。 ナポレオンが遊んでいたと考えられる根拠としては以下のようなものがあったが、いずれも遊んでいた可能性があることを示すだけで確実な根拠ではない。 他の根拠として、1817年に出版されたタングラムの本に「ナポレオンがこの遊びを楽しんでいる」という記述があるが、これも事実かどうかは不明である。 これらの理由から、マーティン・ガードナーのようにナポレオンは遊んでいなかったと結論付ける人もいた。 オーストリアの外交官 Barthelemi de Sturmer(en 中国においてこのパズルは「七巧」と呼ばれる。この言葉は七夕の習慣に由来しているといわれる。 欧米に最初に伝わったときにはこのパズルは単に「(中国の)パズル」と呼ばれていた。Tangram という単語は 1848年にアメリカで出版されたトーマス・ヒル(en タングラムの名称の由来には諸説ある。
片の構成
直角二等辺三角形 5片
大型 2片
中型 1片
小型 2片
正方形・平行四辺形 各1片(大きさは中型の三角形と同じ)
歴史「シルエットパズル#歴史」も参照
ヨーロッパ
ナポレオンとタングラム
ヨーロッパでブームが起きたのは1820年ごろであり、ナポレオンの没年と非常に近い。このため離島にいるナポレオンの存命中にこの遊びの情報が伝わらなかった可能性がある。
ナポレオンの日記にチェスやバックギャモンの話題はあるがタングラムに関する話題が残っていない[1]。
当時のセントヘレナ島は中国との貿易船の中継地だったため、ヨーロッパで広まる前にナポレオンがタングラムを入手していた可能性がある。
ナポレオンは数学を嗜んでいたため、幾何学的なこの遊びに興味を引かれた可能性は高い。
名称
名称の由来
古い英語で「がらくた」を意味する"Trangram"から。
「グラム」はギリシア語で「点、線、図形などで、書かれた文字、描かれた絵」転じて「手紙」「作品」を意味する「希: γρ?μμα(gramma、英: grammar「文法」の語源)」から。「タン」の意味に関しては以下のような説がある。
中国のタンという人物(又は神)が考案した。
アメリカのサム・ロイドが問題集を発行したときに、冒頭に書いたとされている説である。
中国の唐から来た(パズル自体の由来を唐とする説とも連動するが、いずれにしろ年代は大きく昔となる)。
元々は蛋民の遊びであり、"Tanka Game"からきている。