タワーレコード
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タワーレコード(TOWER RECORDS)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメントに本社を置く大手CDショップチェーンである。世界各国に展開されている。キャッチコピーは"NO MUSIC, NO LIFE."。

日本では「タワレコ」「タワー」の略称が用いられる。
歴史
創業期サクラメント市の映画館タワーシアター。この中のドラッグストアの一角からラス・ソロモンのレコード店が始まった

タワーレコードはユダヤ系の創業者ラス・ソロモン(Russell Solomon/ ラッセル・ソロモン)が、1960年にアメリカのカリフォルニア州サクラメントに出店したレコード専門店(ドラッグストア内の専門エリア)を発祥とする。

ソロモンの父親は、1939年に開業した映画館「タワーシアター」の建物内で、1941年から同名のドラッグストアを経営していたが、父の店の中でレコードの販売を行っていたエリアを任されることになった。その後店内の改装が行われる際にレコード売り場が拡大され、「タワーレコード・マート」と名付けられるとともに、ソロモンがその経営を任されることになった。
大型化

その後サクラメント市内の別の場所に店舗を移し、音楽好きなソロモンがかねてから企画していた、スーパーマーケット形式の店舗に、新譜を含めた様々なジャンルのレコードを大量に揃えるという、これまでになかった営業形態の店舗を開いた。

この際に店舗名を「タワーレコード」に改称した。この際に新たにデザインされた、現在も世界中で使用されている黄色に赤字のロゴは、ビルボードを意識しているがシェル石油のカラーリングにヒントを得ている。

新たな業態の店舗が好評を得た上に、1950年代から1960年代にかけての、ベビーブーマー世代による消費の向上や安価なポータブルレコードプレーヤーの普及と、チェリーボーイズビートルズビーチボーイズなど、これらの世代に高い人気を持つアーティストの登場などの後押しを受け、瞬く間に業績が拡大していく。
拡張期ウェスト・ハリウッド店

1968年に、カリフォルニア州第二の都市であり、当時のカルチャーシーンをけん引していたサンフランシスコに大規模店舗を出店し成功を収める。続いて1970年にはハリウッドの中心部に同じく大規模店を出店した。

このウェスト・ハリウッド店は、アメリカのエンターテインメント業界の中心地にあることもあり、エリック・クラプトンブルース・スプリングスティーンエルトン・ジョンデビッド・ゲフィンなども足繁く通うフラッグシップ店的な立ち位置となり、観光客にも人気を集めた。

なおこれらの店舗の従業員はサクラメント時代からの仲間が中心を占め、学歴不問で堅苦しさが無く、アットホーム的かつパーティー好きな、一従業員から役員になるような言わば家族体質な雰囲気で知られた。後に多くの従業員が、どころかマリファナなどの不法麻薬をきめながら働いていたことを告白している。この様な雰囲気が顧客にも好評だったが、しかし後に経営が苦しくなった際に、この様な体質が最終的に首を絞めることになる。

いずれにしても、これらの大規模店舗の相次ぐ成功を受け、1970年代はアメリカ西海岸の都市を中心に店舗網を広げた。この時代に造られた店舗のひとつがアメリカ映画『メカニック(The Mechanic)』(1971年製作、チャールズ・ブロンソン主演、マイケル・ウィナー監督)のワンシーンに映り込んでいる。
日本進出成功渋谷店(2007年)

地元のアメリカに次いで世界第2位規模の音楽市場を持つ日本には、アキ・花沢とヒュー・尾崎という日本の業者が接触したことをきっかけに1979年にレコード卸業として進出し、翌1980年4月には日本1号店を札幌に出店した。なおこの札幌店は、かねてから「タワーレコード」の商標を無断で使用(しかしローマ字表記は本物の「TOWER RECORDS」ではなく、「TOWER RECORD」と誤って使用)していた地元の店舗を、正式な契約を結んだ上で継続営業させたものであった。

なお最初は卸のみであったが営業が芳しくないことから、後に直接販売を企画した。その後アメリカからタワーレコードの生えぬきの社員のマーク・ヴィドシッチを送り込み、日本法人の設立と店舗を準備した。

1981年渋谷区宇田川町に初の大規模店舗をオープンした。この店舗では日本盤ではなくアメリカ盤(輸入盤)を直接販売し、店舗でのプロモーション展開も本場のタワーレコード方式を取り、日本のレコード業界の流通に大革命を与えるほどの大きな成功をおさめた。また日本市場には、HMVなどの外国企業の後追い進出も相次いだ。

次いで1980年代横浜仙台大阪名古屋京都福岡など日本全国の大都市への展開を進め、バブル景気にも助けられて大きな成功をおさめ、その成功によりその後の国際展開に弾みがつくことになった。

なお、タワーレコードのコーポレート・ボイスである「NO MUSIC, NO LIFE.」は、まず日本支社で開発、使用され、その後アメリカ国内や海外でも採用されるようになった。
全米進出マンハッタン

日本への進出に成功した後はアメリカ中西部のテキサス州ミシシッピ州イリノイ州、さらにニューヨーク州などの東海岸にも進出し、マンハッタンではビルの数階を使用した巨大な店舗を展開するなど、1980年代には巨大なアメリカ国内だけで89店舗を運営するなど大きな成功を収めた。

また、その斬新なプロモーション手法や巧みなブランディングレコードCDカセットテープから書籍までを揃えた品ぞろえは高い評価を受けて、全米小売業協会から数度に渡り表彰された。

日本とアメリカ国内での事業展開を広げ、企業にとっての最盛期であった1980年代から1990年代にかけては、マイケル・ジャクソンマドンナプリンスシンディ・ローパーなどの、ゴールドディスクを連発するアメリカのアーティストの世界的人気や、MTVなどによるポップカルチャーの隆盛、さらにCDの登場による売り上げの向上なども後押ししたことにより、企業としての最盛期を迎えることとなった。


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