タワーハムレッツ区
[Wikipedia|▼Menu]

タワーハムレッツ区
London Borough of Tower Hamlets
ロンドン自治区

グレーター・ロンドン内における区の位置
地位ロンドン自治区
主権国家 イギリス
構成国 イングランド
リージョンロンドン
典礼カウンティグレーター・ロンドン
設置1965年4月1日
区役所所在地ブラックウォール クローブ・クレセント
行政
 - 種別ロンドン区
 - 議会タワーハムレッツ・ロンドン区議会
 - 統治体制区長と内閣制 (Executive Mayor:)
 - Executive MayorJohn Biggs
 - ロンドン議会議員Unmesh Desai (City and East区選出)
 - 英国議会下院議員Rushanara Ali (Lab),
Jim Fitzpatrick (Lab)
 - 欧州議会ロンドン選挙区
面積
 - 計19.77km2
域内順位320位位(全326地域中)
人口(2016年中期推計値)
 - 計304,900
 - 順位36位位(全326地域中)
 - 密度15,000/km2
 - 民族構成[1]31.2% イギリス系白人
1.5% アイルランド系白人
0.1% ジプシー系白人又はアイリッシュ・トラベラー
12.4% その他の白人
1.1% 白人とカリブ系黒人の混血
0.6% 白人とアフリカ系黒人の混血
1.2% 白人とアジア系の混血
1.2% その他の混血
2.7% インド系
1% パキスタン系
32% バングラデシュ系
3.2% 中国系
2.3% その他のアジア系
3.7% アフリカ系黒人
2.1% カリブ系黒人
1.5% その他の黒人
1% アラブ系
1.3% その他の民族
等時帯GMTUTC+0
 - 夏時間(DSTBSTUTC+1
郵便コードE, EC
市外局番020
ONSコード00BG
GSSコードE09000030
警察機関ロンドン警視庁
消防機関ロンドン消防局
ウェブサイト ⇒www.towerhamlets.gov.uk

タワーハムレッツ・ロンドン自治区 (タワーハムレッツ・ロンドンじちく、: London Borough of Tower Hamlets) は、シティ・オブ・ロンドンの東方、テムズ川北岸に位置するロンドン自治区インナー・ロンドンを構成する区の一つ。1963年ロンドン政府法により設置された [2]:5 。
目次

1 地理と概要

2 歴史

3 人口

4 交通

4.1 鉄道

4.2 バス

4.3 オイスター・カード


5 施設・名所

6 関係者

7 脚注

地理と概要

世界でも名高いシティ・オブ・ロンドンの東隣に位置し、地区の南側の区界にはテムズ川、極西とサザーク区と繋ぐタワーブリッジ、更に世界遺産のロンドン塔もこの地区にある。シティとの区境付近にはイーストエンド・オブ・ロンドンと呼ばれる下町がブリック・レーンに存在し、南側にはアイルズ・オブ・ドッグ(ドッグ島)地区の再開発で誕生した金融オフィス街、いわゆるカナリーワーフ(カナリーウォルフ)があり、地区の東端には700年以上の歴史があるボウ・チャーチ(ボウ教会)、北端にはビクトリアパーク、地区のほぼ中心部にロンドン大学を構成する一カレッジであるクイーン・メアリー (Queen Mary, University of London) がある。

地区の中心をマイルエンドロード、ボウロードがホワイトチャペルからボウチャーチまで横切る。更に南側をコマーシャル・ロード、イーストインディア・ドックロードが同じくホワイトチャペルからポプラー、オールセイント付近のブラックウォールまで横切る。

なお、2012年開催の夏季オリンピックグレーター・ロンドンのホスト5区のうちの一つとして指定されていた。
歴史

大きく湾曲するテムズ川の異様な地形が、海からシティまでの海運の大きな課題となっていた。また大雨の度に洪水が発生していた為、半島状態になっている部分(アイルズ・オブ・ドッグ)に運河を造成させて切り離す計画が生まれたが、脆弱な地盤であった為工事は難航した。 リージェンツ運河のライムハウス閘門 (1828年)

運河の完成後は沿岸に貨物船が停泊するドック(泊渠)も多数造成され、ロンドンの主要な港湾埠頭としての役割を担ってきたが、付近の洪水問題は解決しなかったので、更に幾つかの運河を造成した。この代表的なのがライムハウス・ベイスンから地区を縦断するリージェンツ運河である。この地区は古くから水被害が絶えなかった為、運河の造成は一番早くから行われた。つまり、グレーターロンドンの運河の中で一番古い歴史を持ち、この地区発展の発端とも言えよう。

1800年頃からは西インド会社最大の商業埠頭が建設された。ドックの集中するタワーハムレッツはドックランズの中心となり、ロンドンの玄関口と言っても過言ではない程の繁栄を迎え、他国や植民地との貿易の拠点となった。その貨物取扱量はイギリスはおろか、当時世界でも有数となった。イギリスのシティに次ぐ重要な地区であったため、第二次世界大戦中はドイツ空軍から熾烈な空襲攻撃を受け、壊滅状態となる。

戦後は一部復興したものの、空輸の発達や海運のコンテナ化と共にロンドンの海運業は衰退し、ヒースロー空港開港や外洋に面したコンテナ港湾の開港と同時に極端に扱い量が減り、ドックランズの埠頭は1980年代までにすべて閉鎖された。同時に5千人以上が失業したと言われ、付近は廃墟と化し治安が一気に悪化した。東ロンドンの治安が悪い噂はここから来るが、その後マーガレット・サッチャー政権によりドックランズ再開発公社が設立され、現在の金融街及びショッピング街へと変貌を遂げた。この再開発で莫大な雇用を生み、イギリス自体の経済力が更に増した。当然ながら治安問題も同時に解消されていった。

このように、タワー・ハムレッツはドックランズの発展と共に進化を遂げていったと言えよう。
人口

前述のように、ロンドンの貿易拠点として機能していたこともあり、人口は1891年には最大で58万人が居住していたとされているが、労働人口も入っている可能性は否定できない。その後は徐々に人口は減少し、その傾向も長期間に渡り1981年の13万人が記録上の最小人口であったが、1980年代後半から1990年代にかけて南アジア、主にバングラデシュからの移民が増え、現在は20万人規模にまで回復してきている。

また、民族比率は白人系が55%、アジア系が34%、黒人系が5%、混血が3%、中国系が2%、その他が1%となっているが、最近の統計では、アジア系が白人系に匹敵するとの見方もある。また、バングラデシュ系の比率はロンドンの各自治区の当該比率の倍以上があるとされる。一方で黒人比率が低いのはロンドンの各自治区中でも少数派である。

宗教事情はキリスト教よりも他宗教比率の方が高いのも特徴で、キリスト教が38.6%、イスラム教は36.4%でヒンドゥー教仏教が後に続く。
交通
鉄道

この地区には地下鉄4路線、ナショナルレール2路線、DLRと呼ばれるライトレールが整備されている。

セントラル線


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef