タワーハムレッツ・ロンドン特別区
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タワー・ハムレッツ区
London Borough of Tower Hamlets
ロンドン自治区


グレーター・ロンドン内における区の位置
地位ロンドン自治区
主権国家 イギリス
構成国 イングランド
リージョンロンドン
典礼カウンティグレーター・ロンドン
設置1965年4月1日
区役所所在地ブラックウォール クローブ・クレセント
行政
 ? 種別ロンドン区
 ? 議会タワー・ハムレッツ・ロンドン区議会
 ? 統治体制区長と内閣制 (労働党)
 ? Executive MayorJohn Biggs
 ? ロンドン議会議員Unmesh Desai (City and East区選出)
 ? 英国議会下院議員Rushanara Ali (Lab),
Jim Fitzpatrick (Lab)
 ? 欧州議会ロンドン選挙区
面積
 ? 計19.77 km2
域内順位311位(全317地域中)
人口(2018年中期推計値)
 ? 計317,705人
 ? 順位36位(全317地域中)
 ? 密度16,000人/km2
 ? 民族構成[1]人口密度31.2% イギリス系白人
1.5% アイルランド系白人
0.1% ジプシー系白人又はアイリッシュ・トラベラー
12.4% その他の白人
1.1% 白人とカリブ系黒人の混血
0.6% 白人とアフリカ系黒人の混血
1.2% 白人とアジア系の混血
1.2% その他の混血
2.7% インド系
1% パキスタン系
32% バングラデシュ系
3.2% 中国系
2.3% その他のアジア系
3.7% アフリカ系黒人
2.1% カリブ系黒人
1.5% その他の黒人
1% アラブ系
1.3% その他の民族
等時帯GMTUTC+0
 ? 夏時間(DSTBSTUTC+1
郵便コードE, EC
市外局番020
ONSコード00BG
GSSコードE09000030
警察機関ロンドン警視庁
消防機関ロンドン消防局
ウェブサイト ⇒www.towerhamlets.gov.uk

タワー・ハムレッツ・ロンドン自治区 (タワー・ハムレッツ・ロンドンじちく、: London Borough of Tower Hamlets) は、シティ・オブ・ロンドンの東方、テムズ川北岸に位置するロンドン自治区インナー・ロンドンを構成する区の一つ。1963年ロンドン政府法により設置された[2]
地理と概要

西部はシティ・オブ・ロンドン、北西部から北部はハックニー区、東部はニューアム区、テムズ川を介して南部は西から東にサザーク区ルイシャム区グリニッジ区それぞれと接する。

世界でも名高いシティ・オブ・ロンドン(シティ)の東隣に位置し、区南側の区界にはテムズ川が東西に流れ、テムズを介して区内南西部とサザーク区とを繋ぐタワーブリッジ、更に世界遺産のロンドン塔もこの南西部地区にある。ロンドン塔北側至近、シティとの区境沿いに日本航空ロンドン事務所がある[3]

西側シティ・オブ・ロンドンとの区境付近にはイーストエンド・オブ・ロンドンと呼ばれる下町地区がブリック・レーン沿いに存在する。南側にはドックランズと呼ばれる一帯の中心にある半島状のアイル・オブ・ドッグス(ドッグ島, Isle of Dogs)地区の再開発で誕生した金融オフィス街 カナリー・ワーフ(カナリーウォルフ)がある。区東端には700年以上の歴史があるボウ・チャーチ(ボウ教会)、北端にはビクトリアパーク、区のほぼ中心部にロンドン大学を構成するカレッジの一校であるクイーン・メアリー (Queen Mary University of London) がある。

区の中心をマイルエンドロード、ボウロードがホワイトチャペルからボウチャーチ地区まで横切る。更に南側をコマーシャル・ロード、イーストインディア・ドックロードが同じくホワイトチャペルからポプラー、オールセイント付近のブラックウォールまで横切る。

なお、2012年開催の夏季オリンピックグレーター・ロンドンのホスト6区の一つ、イースト・ロンドン(en)の4つの区の一つとして指定されていた。
歴史

大きく湾曲するテムズ川の異様な地形が、海からシティまでの海運の大きな課題となっていた。また大雨の度に洪水が発生していた為、半島状態になっている部分(アイルズ・オブ・ドッグス)に運河を造成させて切り離す計画が生まれたが、脆弱な地盤であった為工事は難航した。リージェンツ運河のライムハウス閘門 (1828年)

運河の完成後は沿岸に貨物船が停泊するドック(泊渠)も多数造成され、ロンドンの主要な港湾埠頭としての役割を担ってきたが、付近の洪水問題は解決しなかったので、更に幾つかの運河を造成した。この代表的なのがライムハウス・ベイスンから地区を縦断するリージェンツ運河である。この地区は古くから水被害が絶えなかった為、運河の造成は一番早くから行われた。つまり、グレーターロンドンの運河の中で一番古い歴史を持ち、この地区発展の発端とも言えよう。

1802年から西インドドック会社(英語版)によるドック群が作られた。ドックの集中するタワーハムレッツはドックランズの中心となり、ロンドンの玄関口と言っても過言ではない程の繁栄を迎え、他国や植民地との貿易の拠点となった。その貨物取扱量はイギリスはおろか、当時世界でも有数となった。イギリスのシティに次ぐ重要な地区であったため、第二次世界大戦中はドイツ空軍から熾烈な空襲攻撃を受け、壊滅状態となる。

戦後は一部復興したものの、空輸の発達や海運のコンテナ化と共にロンドンの海運業は衰退し、ヒースロー空港開港や外洋に面したコンテナ港湾の開港と同時に極端に扱い量が減り、ドックランズの埠頭は1980年代までにすべて閉鎖された。同時に5千人以上が失業したと言われ、付近は廃墟と化し治安が一気に悪化した。


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