タラソーナ
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Tarazona

  


 アラゴン州
 サラゴサ県
面積244 km2
標高480m
人口10,863 人 (2013年)
人口密度44.52 人/km2
Tarazona スペイン内タラソーナの位置 Tarazona サラゴサ県内タラソーナの位置

北緯41度54分16秒 西経1度43分21秒 / 北緯41.90444度 西経1.72250度 / 41.90444; -1.72250座標: 北緯41度54分16秒 西経1度43分21秒 / 北緯41.90444度 西経1.72250度 / 41.90444; -1.72250

タラソーナ (Tarazona)は、スペインアラゴン州サラゴサ県ムニシピオ(基礎自治体)。タラソーナ司教座が置かれている。

ローマ帝国時代、タラソーナはローマ市民で占められた繁栄した都市であった。その頃の名はトゥリアソ(Turiaso)であった。ローマ帝国衰退後に市は衰え、のちに8世紀初頭にイスラム勢力の支配下に入った。

アラゴン王アルフォンソ1世によるレコンキスタで1119年に解放されると、タラソーナ司教座が置かれた。12世紀初頭にフランス風ゴシック建築のタラソーナ大聖堂の建設が始まり、1232年に終了した。

アルフォンソ1世の死後、タラソーナはカスティーリャ王国ナバラ王国、アラゴン王国の間の辺境に位置する町となり、戦略的要所とされた。

中世の間、市の人口を占めていたのはキリスト教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が共存する多様な社会であった。イスラム教徒の存在が地元の建築に影響を残した。大聖堂そのものはのちにムデハル様式で再建されている。モリスコが追放された時には、市は危機的状況に陥った。

アラゴン王ペドロ4世とカスティーリャ王ペドロ1世が争ったロス・ドス・ペドロス戦争時代には、市はカスティーリャ軍に9年間占領され、この時期に大聖堂が損傷した。

20世紀、タラソーナはマッチと織物の主要産地であったが、これらの産業は1980年代に別のものに替わった。
外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、タラソナに関連するカテゴリがあります。


Comarca de Tarazona y el Moncayo(スペイン語)

Article on The Diocese of Tarazona The Catholic Encyclopedia

Tarazona entry

"Off the Beaten Path in Tarazona, Spain: Rescuing A Corner Of The Past" Jewish Heritages

Photograph of Tarazona

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更新日時:2017年9月14日(木)10:06
取得日時:2019/07/16 03:25


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