タミー・ウィネット
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タミー・ワイネット
Tammy Wynette
1971年
基本情報
出生名ヴァージニア・ワイネット・ピュウ
Virginia Wynette Pugh
生誕 (1942-05-05) 1942年5月5日
ミシシッピ州イウカ
死没1998年4月6日(1998-04-06)(55歳)
テネシー州ナッシュビル
ジャンルカントリー・ミュージック, ナッシュビル・サウンド
職業歌手, 作曲家
担当楽器ヴォーカル, ギター
活動期間1966年 ? 1998年
レーベルエピック・レコード, MCAナッシュビル
共同作業者ジョージ・ジョーンズ, ジョージェット・ジョーンズ, デイヴィッド・ヒューストン, ロレッタ・リン, ドリー・パートン, ワイノナ・ジャッド, バーバラ・マンドレル, ランディ・トラヴィス
公式サイト ⇒www.tammywynette.com

タミー・ワイネットまたはタミー・ウィネット(Tammy Wynette)ことヴァージニア・ワイネット・ピュウ(Virginia Wynette Pugh、1942年5月5日 ? 1998年4月6日)は、アメリカ合衆国カントリー・ミュージックシンガーソングライター。カントリー界で最も名の知れた歌手の1人で、レコードの最大売上女性歌手として知られており、カントリー・ミュージックのアイコンともなっている。

ワイネットは「カントリー・ミュージックのファースト・レディ」と呼ばれ、ドリー・パートンの「9 to 5」に記録を破られるまで、彼女の最大ヒット曲「スタンド・バイ・ユア・マン」はカントリー史上女性歌手最大のヒット・シングルの1つであった[1]。彼女のヒット曲の多くは孤独、離婚、男女関係の難しさなどをテーマにしたものである。1960年代後期から1970年代初頭、23曲が第1位を獲得した。1970年代、ロレッタ・リン、ドリー・パートンと共にカントリー・ミュージックでの女性の地位を確立した。

1969年、カントリー歌手ジョージ・ジョーンズと結婚し、1975年に離婚した。1968年に結婚したジョニー・キャッシュジューン・カーター・キャッシュに続き、カントリー・カップルとして知られた。1970年代から1980年代初頭、ジョーンズとワイネットは数々のシングルおよびアルバムをヒットさせた。
初期
幼少期および10代

ミシシッピ州トレモント近郊で父ウイリアム・ホリス・ピュウ(1943年2月13日没)と母ミルドレッド・フェイ・ピュウ(旧姓ラッセル)(1922年-1991年)のもとに一人っ子として生まれ、ヴァージニア・ワイネット・ピュウと名付けられた[2]。父親は農業従事者および地元ミュージシャンで、ワイネットが9歳の時に脳腫瘍でなくなった。母親は家での農業の他に臨時教師も務めていた。母親は夫亡き後、ワイネットを自身の両親のもとに預け、第二次世界大戦中、テネシー州メンフィスに転居して工場に勤務した。1946年、母親は農業従事者のフォイ・リーと再婚した[2]

ワイネットはトイレが屋外にあり、水道設備のない母方の祖父母宅で育った。当時5歳であったおばキャロライン・ラッセルと共に姉妹のように育った。幼少期、亡くなった父が遺した様々な楽器を独学で演奏するようになった[3]
歌手を目指す

ワイネットはトレモント高等学校に進学し、バスケットボール選手として活躍した。卒業1ヶ月前、18歳の誕生日の数か月前、ユープル・バードと結婚した。彼は建設作業員であったが、仕事を継続させることができずに転々と引っ越した。ワイネットはウエイトレス、受付、バーテンダー、靴工場従業員などで働いた。1963年、アラバマ州バーミングハムにあるアメリカン・ビューティ・カレッジに進学し、美容師になるために学んだ。歌手として成功後もいつでも戻れるように美容師の資格を更新し続けた[要出典]。

最初の夫ユープルのもとを離れ、その後に3人目の娘を産んだ。この娘は脊髄膜炎を患っており、治療費を稼ぐために夜に歌うようになった。ユープルはカントリー歌手を志望する彼女を支援せず、ワイネットによると夫は「夢でも見てろ」と語った。数年後、彼女は歌っているところを写真に撮ってもらうために彼にコンサートに来てもらい、その写真には「夢でも見てろ」とサインした[4]。1965年、アラバマ州ミッドフィールドで美容師をしていた頃、バーミングハムのWBRC-TV の『カントリー・ボーイ・エディ・ショウ』で歌い、これによりポーター・ワゴナーと共に演奏することになった。1966年、グウェン、ティナ、ジャッキーの娘3人を連れてバーミングハムからテネシー州ナッシュビルに転居し、レコード会社との契約を志した。数々のレコード会社に断られ続けた後、プロデューサーのビリー・シェリルのオーディションを受けることとなった。当初シェリルは彼女と契約することを躊躇していたが、『Apartment No. 9 』のためにどうしても歌手が必要だったために仕方なく契約した。シェリルはワイネットがこの曲を歌うのを聴いてとても感銘を受け、1966年、彼は彼女をエピック・レコードと契約させた[5]
経歴
1966年?1979年: ヒット

エピック・レコードと契約する際、シェリルは彼女により印象的な名前に変えるよう提案した。1979年の彼女の回顧録『Stand by Your Man』によると、その会議中ワイネットは長い金髪をポニーテイルにしており、シェリルは映画『Tammy and the Bachelor』でデビー・レイノルズ演じるタミーを思い出し、これにより芸名は「タミー・ワイネット」となった。

1966年12月、ボビー・オースティンおよびジョニー・ペイチェック作曲の1枚目のシングル『Apartment No. 9』が出版され、カントリー・チャートで第44位となり辛くもトップ40に入らなかった。2枚目のシングル『Your Good Girl's Gonna Go Bad』は大ヒットして第3位を獲得した。これ以降1970年代終盤まで、3曲以外全てが次々とトップ10にランクインした。『Your Good Girl's Gonna Go Bad』の成功以降、1967年夏のデイヴィッド・ヒューストンとのデュエット『My Elusive Dreams』が彼女にとって初の第1位となり、同年終盤の『I Don't Wanna Play House』でも第1位を獲得した[3]。1967年、ワイネットは『I Don't Wanna Play House』でグラミー賞女性カントリー・ヴォーカル賞を獲得した。

1968年から1969年、ワイネットは「Take Me to Your World」、「D-I-V-O-R-C-E」、「スタンド・バイ・ユア・マン」(3曲とも1968年)、「Singing My Song」、「The Ways to Love a Man」(2曲とも1969年)の5曲で第1位を獲得した[3]。『Stand by Your Man 』はシェリルとワイネットによりエピックのスタジオで15分で作曲されたとされ[6]、アメリカで女性人権運動が始まった頃に出版された。この曲のメッセージは男性にどんな欠点があろうと女性はその男性のそばに留まるべきだというものであった。この曲は批判され議論を引き起こし、フェミニストの矢面に立った。にも関わらずこの曲は大ヒットしてカントリー・チャートで第1位を獲得しただけでなく、1968年の『ビルボード』誌のポップ・チャートで第19位を獲得し、ワイネットにとってソロとして唯一トップ40にランクインした。1969年、ワイネットは『スタンド・バイ・ユア・マン』でグラミー賞女性カントリー・ヴォーカル賞を獲得し、批評家によるとこの曲はカントリーのクラシックおよびスタンダードとされている。アルバム『Tammy's Greatest Hits 』は50万枚以上を売り上げ、1970年、RIAAによりゴールド・レコードに認定された。1989年6月、このアルバムは100万枚以上を売り上げプラチナ・レコードに認定された。1970年、映画監督のボブ・ラフェルソンは映画『ファイブ・イージー・ピーセス』のサウンドトラックに彼女の多くの曲を使用した。 1977年、『ジョニー・キャッシュ・ショウ』

1970年代初頭、ワイネットは歌手ロレッタ・リンと共にカントリー・チャートにランクインし続け、カントリーにおいて最も成功した女性歌手の1人となった。1970年代初頭、『He Loves Me All the Way』、『Run Woman, Run』、『The Wonders You Perform』(3曲とも1970年)、『Good Lovin' (Makes it Right)』、『Bedtime Story』(2曲とも1971年)、『My Man (Understands)』、『'Til I Get it Right』(1972年)、『Kids Say the Darndest Things』(1973年)などで第1位を獲得した。1971年、『The Wonders You Perform』はOrnella Vanoniがイタリア語版『Domani e un altro giorno』(「明日がある」の意)でカバーしたおかげでイタリアでもヒットした。ソロとしてだけでなく、『The Ceremony』(1972年)、『We're Gonna Hold On』(1973年)、『Golden Ring』(1976年)などジョージ・ジョーンズとのデュエットもカントリー・チャートのトップ10にランクインした。


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