この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はバスケス、第二姓(母方の姓)はロサスです。(Template:スペイン語圏の姓名)
タバレ・ラモン・バスケス・ロサス
Tabare Ramon Vazquez Rosas
ウルグアイ東方共和国
第39代 大統領
任期2005年3月1日 – 2010年2月28日
副大統領ロドルフォ・ニン・ノボア
タバレ・ラモン・バスケス・ロサス(西:Tabare Ramon Vazquez Rosas 1940年1月17日 - 2020年12月6日)は、ウルグアイの政治家(第39代、第41代大統領)。本業は医師であるが、左派連合拡大戦線の代表として2004年10月31日の選挙に臨み当選した。2005年3月1日に大統領に就任。ウルグアイ初の左派政権となった。1期5年務めた後、2014年の大統領選挙で再選、2015年3月1日より1期5年を務めた。目次 モンテビデオ近郊で育ち、1972年に医科大学を卒業している。1976年にはフランス政府の奨学金で、パリで研究を行っていた。1960年代よりウルグアイ社会党
1 経歴
2 エピソード
3 日本との関係
4 脚注
5 参考文献
経歴
1990年にはモンテビデオの市長となり、1995年まで勤めた。大統領選挙には1994年と1999年にも出馬している。この間、1996年には左派連合の代表となっている。2004年の選挙において絶対多数となる51.7%の得票(1,124,761票)を得て当選した。2014大統領選挙で再選され2015年3月1日に2期目がスタート[1]。
大統領在任中は1期目の2006年に南米ではじめて屋内の公共の場での喫煙を違法とするなど禁煙政策を実施したものの、自身は2019年8月の定期健康診断で腫瘍が見つかり、肺がん治療を行った[2]。2期目の大統領退任から9カ月後の2020年12月6日、自宅で死去[3]。 2015年10月、パリに公式訪問するために飛行機で移動していた最中に、ピーナッツアレルギーを発症して危険な状態に陥っていた10代のフランス人女性を自身の主治医とともに治療し救った[4]。また、これ以外にも2005年、2010年に機内で発生した急患に対応したことがある[5]。 1981年に腫瘍医としての研修のために京都に3カ月滞在し、1985年に神戸で開催されたユニバーシアードに参加するなど[6]、多くの訪日歴がある大変な親日家であり、大統領になってからは、2015年11月に訪日している[7][8]。 2018年12月3日、安倍晋三が日本の総理大臣として初めてウルグアイ(とパラグアイ)を訪問し、バスケスと会談し、現地の日系ウルグアイ人と懇談を行った[9][10]。これについてMBS、BSN、TBSは「両国(パラグアイとウルグアイ)とも日本からの移民の多い国で、このうち、ウルグアイのバスケス大統領との会談では、牛肉の相互輸出を解禁することなどを確認しました」と報じた[11][12][13]。安倍晋三総理大臣は、今回のウルグアイ訪問は、二国間関係、特に経済関係を深化させる好機であり、日本とウルグアイは地理的に離れているが、両国はお互いにとって「重要なパートナーである」と語っており[7][8]、2018年12月2日付『エル・パイス
エピソード
日本との関係