この項目では、調味料について説明しています。メキシコの州については「タバスコ州」をご覧ください。
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やノートページでの議論にご協力ください。タバスコ(正式名称:タバスコペッパーソース、Tabasco pepper sauce)は、辛味調味料(チリペッパーソース)の商品である。メキシコ・タバスコ州原産のキダチトウガラシの品種、チレ・タバスコ(タバスコペッパー)を主原料とする。
アメリカ合衆国ルイジアナ州エイブリー島に本社を置くマキルヘニー社の創業者が1865年に考案し、現在も同社が商標権を持つ(日本における商標登録番号は第1002001号ほか全6件)アメリカの調味料である。
なお、タバスコはチリペッパーソース(chili pepper sauce)の商品名であるが、チリペッパーソース(辛味調味料類)とチリソース(トマト加工品類)は異なる分類の調味料である[1]。詳細は「チリソース」を参照 赤い色をした製品が多く、ピリッとした刺激的な辛さと酸味が特徴で、世界各国でホットソースの定番製品とされている。調味料として各種料理に使用される。製造を開始した1868年以来、エイブリー島内でのみ作られ、基本的な製法は変わっていない。 原材料は、唐辛子(タバスコペッパー、辛さは約5万スコヴィル)、岩塩、ビネガー(穀物酢)。製法は、まず丸ごとすり潰したタバスコペッパーをオーク樽(楢樽)に詰め、蓋をしたのちに塩をかぶせる。やがて発酵した液体が蓋上に滲出し、塩が固まり樽が密封される。そのまま約3年間熟成させる。この間、樽の中身は発酵食品である味噌に例えられるような特徴的な風味の変化を遂げる[2]。その後、酢を加えて辛さを4,000スコヴィルほどに薄め、さらに最大1ヵ月間ほど寝かせて完成される。 日本では卓上調味料として、ピザ、スパゲティやパスタに用いられることが多い。洋食を提供する大衆食堂にも置かれていることがある。和食への利用は少ないが、マキルヘニー社は多様な日本食に用途を広げるプロモーションを展開している[3]。 アメリカ合衆国における主な使用法は、ステーキソースやバーベキューソース、マヨネーズなどの調味料の風味付け、あるいはブラッディ・マリーの味付けなどである。また、アメリカ軍の正式携帯糧食であるMREにも封入されていることがあり、容器としてミニチュア瓶ないし樹脂パックが用いられている。 「タバスコは元来アメリカで牡蠣(オイスター)のために作られたソース」という説もあるが、アメリカでも牡蠣はそれよりも前から食用にされており、タバスコの発明が牡蠣の消費に貢献したという記録は全くない。 マキルヘニー社の創業者は、ルイジアナ州ニューオーリンズで銀行家をしていたメリーランド州出身のエドモンド・マキルヘニー(1815年生-1890年没)である。スコットランド人とアイルランド人の血を引く、髭を蓄えた美食家だったといわれている。 南北戦争の頃、エドモンドはメキシコのタバスコ州から帰還した南軍兵士(フレンド・グリーソンと考えられている)から唐辛子(タバスコペッパー)の種を入手したとされる。1862年にニューオーリンズが北軍によって陥落したため、マキルヘニー一家は、岩塩の産地として有名だった妻の実家のあるエイブリー島へと移り住み、そこで唐辛子の種をまいたという。ところが、南軍に塩を供給していた関係で北軍の攻撃にさらされることになり、さらにテキサス州へと逃れた。終戦後の1865年に島へ戻ってきた時、すっかり荒れ果てていた土地に、一株のタバスコペッパーが生えているのを見つける。 エドモンド・マキルヘニーはタバスコペッパーの果実をとって潰し、出てきた汁に蒸留酢と塩を混ぜたとされる。それから3年後の1868年、このソースを香水の空き瓶に詰め、卸売業者を通じて350本売った。そのときの香水の瓶は、今日のタバスコソースの瓶の形に受け継がれている。1870年に、彼は自ら考案したタバスコソースの製法を特許登録した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在[いつ?]では全世界100カ国以上で販売されている。
特徴と製法
用途
歴史 1905年頃の広告。コルク栓を備えたタバスコ瓶が、牡蠣の貝殻の中に置かれている。