タツタ電線株式会社
Tatsuta Electric Wire Cable Co,.LTD本社社屋・大阪工場
種類株式会社
機関設計監査等委員会設置会社[1]
市場情報東証プライム 5809
タツタ電線株式会社(タツタでんせん、英文社名 Tatsuta Electric Wire Cable Co,.LTD)は、大阪府東大阪市に本社を置く、電線や光ファイバー、電子材料などを製造する企業である。 電線・ケーブルが事業の中心であり、設備用電線・ケーブル、配電用電線、車両用電線、鉄道信号用ケーブル、機器用電線、原子力発電所用電線・ケーブル、及び耐屈曲性を強化したファクトリーオートメーション・ロボット用ケーブル、電磁波シールド[2][3]等を製造している。 エレクトロニクス部品分野では、光ファイバカプラやコネクタ等の配線部品の他、電子回路用の材料を製造している。また、情報通信用ケーブルとして、光ケーブル、メタル通信ケーブル等の製品を製造している。 これらの他、応用システムとして、漏水検知、入退室管理、侵入監視の各システムを取り扱っている。また、環境分析事業も展開している。
概要
沿革
1943年(昭和18年)8月1日 - 大阪府布施市(現・東大阪市)にて有限会社豆陽金属工業所として、非鉄金属の溶解精錬加工を開始。
1945年(昭和20年)
9月28日 - 東洋伸銅株式会社と合併し、株式会社豆陽金属工業所を設立。
11月 - 鍋、釜、電気器具、バルブ等家庭・民生品の製造開始。
1946年(昭和21年)
2月28日 - 商号をタツタ産業株式会社に変更。
12月26日 - 商号をタツタ伸銅株式会社に変更。裸銅線の製造を開始。
1947年(昭和22年)
8月11日 - 反射炉、初回の湯出し成功。
10月25日 - 熱間圧延設備稼働開始(この日を創立記念日に制定)。
1948年(昭和23年)7月21日 - 商号をタツタ電線株式会社に変更。
1949年(昭和24年)10月 - 大阪電線工業株式会社を合併し、熔銅より被覆線に至る一貫生産体制を確立(同社工場を高井田工場とする)。
1950年(昭和25年)4月 - タツタバルブ株式会社(現・中国電線工業
1951年(昭和26年)
9月 ? ビニル押出機導入、ビニル絶縁電線開発着手
12月 - 株式会社第二久保田鉄工と大阪府中河内郡若江村に工場売買契約締結(若江工場、現・大阪工場)。
1952年(昭和27年)
2月 ? ビニル絶縁電線初出荷。
4月 - 大阪府中河内郡若江村(現・東大阪市)に若江工場を建設開始。
7月 - 高井田工場の設備を若江工場に移転開始。
9月 - 若江工場の操業が本格化。
1953年(昭和28年)
6月 - 通信ケーブル開発に着手。丸豊電線株式会社に資本参加。
1954年(昭和29年)
2月11日 - 大阪証券取引所に上場。
4月 - タツタバルブが営業内容を一新し、商号を近畿伸銅株式会社に変更。
1955年(昭和30年)
1月15日 - 河内市の市制実施に伴い、若江工場を河内工場と改称。
9月 - 本社を小坂工場から河内工場内に移転。
10月1日 - 通信ケーブルの製造開始。
1956年(昭和31年)8月1日 - 近畿伸銅が株式会社三宅電線製造所を買収し、商号を株式会社三宅電線製造所に変更。